この度「パリ・パノラマ」シリーズの一環として、エミール・ド・ラ・ベドリエール(1812-1883)の2冊『新しいパリ――20の行政区の歴史』と『新しいパリの近郊の歴史』(ともに1861年)が同時に復刊されることになった。慶賀の至りである。アティーナ・プレス社はこれまで『パリの悪魔』、『大都市』、『パリあるいは百一の書』などパリに関するいわゆる「生理学」ものの代表作を多く出版してきた。今回そこに、ラ・ベドリエールの著作が加わって、シリーズはさらに充実したものになる。これらが複数の著者による共著だったのに対し、今回の2冊は単独の作家による著書という点が特徴である。
刊行年もまた大きな意味をもつ。『パリの悪魔』以下の三作は、いずれも19世紀前半に刊行されている。そこで語られ、分析されているのはロマン主義時代のパリであり、バルザックが『人間喜劇』の中で描いた世界である。また、やはりアティーナ・プレス社から復刊されたエドモン・テクシエ著『タブロー・ド・パリ』全2巻は19世紀半ば、1852-53年の出版である。しかもこの本は、週刊新聞『イリュストラシオン』に連載された記事に加筆修正を施したものであり、実際は1840年代後半の首都の風景と習俗を叙述している。
他方、ラ・ベドリエールの手になる2冊は1860年代初頭に刊行された。その10年間にナポレオン三世の第二帝政が成立し、セーヌ県知事に抜擢されたオスマンによってパリ大改造が始動している。1860年には、周辺の町村を併合してパリ市は現在のような20区を布く大都市に変貌した。それにともない市の面積は倍以上に広がり、人口は150万を超える。ラ・ベドリエールの『新しいパリ――20の行政区の歴史』は、まさに近代都市に変貌したパリの新たな表情を読者に知らしめようとしたのである。オスマンの改造事業によって日々変貌しつつあったパリの町を、リアルタイムで歩き回り、その様相と人々の活動を描き出そうとした。その意味で、オスマンのパリ、「19世紀の首都パリ」(ベンヤミン)の状況を伝えてくれる最初の著作のひとつなのである。
ラ・ベドリエールは青年時代からジャーナリズムの世界に入り、当時を代表する新聞『シエークル』紙や『ナショナル』紙で活躍し、歴史書も数冊執筆した。外国語にも堪能だったようで、ドイツのホフマン、イギリスのディケンズ、そしてアメリカのストウ夫人の作品を翻訳した経験をもつ。この度復刊される2冊は、ジャーナリストとしての嗅覚と、歴史家としての素養がみごとに融合したことを示す仕事といってよい。
『新しいパリ――20の行政区の歴史』は冒頭に「パリ全史」を配して、パリの起源から19世紀半ばまでの歴史をたどった後、1区から20区まで、区ごとに叙述を展開する。街区の描写や新旧のモニュメントに加えて、「生理学」ジャンルの伝統に倣って、パリ住民の生活と深くつながる空間や社会制度や公共機関が記述の対象になる。その基底にあるのは、パリへの深い愛と敬意にほかならない。「パリは文明の中心であり、あらゆる知識が集中する都市である」と著者は宣言する。第二帝政期のパリをめぐるこのような認識は、1867年のパリ万博を機に刊行される有名な『パリ案内』全2巻に継承されることになる。
続篇である『新しいパリの近郊の歴史』は、パリから数十キロ以内に位置する主要な町(ヴェルサイユ、コンピエーニュ、フォンテーヌブローなど)を対象にして、その歴史、産業、建造物、自然などを詳細に記述する。どの町を取りあげたかという基準は、鉄道で日帰りできるというきわめて明解なものだ。産業革命の象徴である鉄道は第二帝政期に大きな発展を遂げ、パリを中心とする幹線網が確立した。パリから汽車に乗り、町を見物して、夕方には帰宅できる。この書物はそのような人のための旅行ガイドブック的な側面を兼ねている。大型本なので実際に旅行者が携帯できるものではなかったが、同時期に、アドルフ・ジョアンヌ(1813-1881)が鉄道で旅する人のためにポケットに入るような旅行案内書を刊行していた。形式は異なるが、そこには同じ精神が通底している。
ラ・ベドリエールの2冊の本には、時代を代表する挿絵画家ギュスターヴ・ドレ(1832-1883)による鮮やかな版画が数多く添えられており、著作の価値をぐっと高めている。大規模な改造によって誕生したオスマンのパリと、鉄道によって変わった人々のライフスタイル――それが新たなパリ論の構図を成立させたのだった。