このたび、2014年9月にヴィクトリア朝末期の1892年から94年に刊行された『実用料理百科事典』が全4巻で復刻出版されることになった。料理本はフランス料理に関するものが多いので、通常フランス語で書かれているが、この料理百科事典は英語版であるので、フランス語版のものよりも広い層に読まれることが期待される。
この書の特徴として第1に挙げられることは、掲載されているおびただしい料理の数であろう。もっともこの頃のイギリス料理はフランス料理とほとんど変わりないものであり、今日のイギリス料理の簡素なイメージとは異なる。例えば、日本でも親しまれている、カラメルカスタードプディングを第4巻のインデックスで調べてみると、“Cream caramel”、“Caramel custard”、“Caramel crème renversée”、“Custard caramel”、“Custard pudding”などいくつもの料理品目として掲載されており、それぞれにきちんと分量と作り方が記されている。現代からみると同じものであり、その後作り方が整理され、一つの料理名に統一されていくのであるが、料理本がそれほど多くはない時代、しかも料理自体がその国や地方で、また各ホテルやレストランで等々、まだ情報交換の術がなく整理されていなかったため、様々な呼び方、異なった作り方があり、それらすべてを網羅し掲載したためであろうと推測される。それもあってか、19世紀以降、こうした状況を整理して、宮廷やホテルの料理人たちの5,000種の料理レシピを掲載したといわれる、オーギュスト・エスコフィエ著の「料理の指針」(1903年)は料理人のバイブルとも呼ばれ、さらにプロスペル・モンタニエとアルフレッド・ゴットシャルク共著 「ラルース美味学辞典」(1938年)などにより次々と料理名と内容が整理され統合されていく。それでもなおかつ現代でもさまざまな料理名は残されているので、その本来の姿を調べられることはむしろうれしい限りともいえる。いわばこの時代の料理を研究している者にとって、様々な名称やその当時の詳細な記録・レシピは大変貴重であるからである。だれかの意図した整理がされてしまう前の実録の研究利用価値は高いと考える。しかしながら、改めて星の数ほど?あったこの時代の料理に比較し現代人の料理はいかにシンプルなことであろうか。ちなみに、ソースベシャメルは現代の日本では、ホワイトソースのことを指すが、ここにはベシャメルブラウンソースなるものの記載もあったことも付け加えておこう。
第2に、その料理の定義、謂われが非常に詳しく書かれていることである。さらにその項目に関係する道具も詳細な絵付きで書かれている。例えば、“Tea”の項には、インドの王様の息子Darmaが中国に宗教行事で修行に出かけた際に茶葉の効用により成果を得た故事にはじまり、茶葉の位置による呼び方の違い、茶用の道具などの記事を読んでいても大変興味深い。またケーキの項では、ケーキという言葉の定義、また日本では良く混同されているプラムケーキやメリークリスマスケーキ、ミンスミートの名前の由来、ショートケーキの本来のレシピなど調べていると興味は尽きない。
最後に、その時代の要人のパーティー献立集もある。例えばルーマニア国王夫妻をウインザー城にお招きしたときのメニューなどの記載から、当時の献立がわかる。献立というのは、単なる料理名の羅列ではなく、その時に出された一人分の提供順序も示しているので、どれくらいの料理が一人分として考えられていたか、サービスの状況なども良くわかる。ここではスープ、魚料理、肉料理は牛肉と鶏肉、その他サイドテーブルにコールドビーフやタンもあり、肉料理が現代のように1品でなく、種類が多い。肉料理に入るアントレ(入り口)という献立名があったのもうなずける。また、カラーのすばらしい挿絵も楽しみである。
このように、19世紀の料理は現在の簡素に整理されてしまった料理とは比較にならないほど種類が多く、当時の生活を反映する資料の宝庫である。もう一度混乱した料理名を整理してみるときに、また統合されて、いろいろな呼び方をもつ料理を調べる際にこの百科事典は有益であろう。
時代が進化し、料理は退化した?とも思える、大変な数の料理を楽しんでいただきたいものである。