1914年から18年にかけて戦われた第一次世界大戦は、ヨーロッパの国々に深い傷跡を残した。イギリスやフランスでは、この大戦で後の第二次世界大戦よりもはるかに多い犠牲者が出たのである。現在でも「大戦争」(the Great War, la Grande Guerre)と呼ばれて追憶されることが多い所以である。第一次世界大戦には日本も参戦したが(中国や南太平洋でのドイツ領を攻撃、占領した)、犠牲が小規模にとどまったこともあり、第二次世界大戦と異なり、この戦争は日本人の歴史的記憶の中にはほとんどとどまっていない。それだけに、この戦争について具体的なイメージを抱くことは、容易でない。今般アティーナ・プレスから出版されるこの四種類の資料は、中心的な参戦国であったイギリスで、大戦中に戦争の姿がどのように捉えられ、どのように報じられていたかを多面的に示しており、この戦争についての私たちのイメージを非常に豊かなものにしてくれる。
今回出版される資料の内、最大のものは、The Illustrated War Newsである。1842年に刊行が開始され、イギリスおよび世界の状況を絵や写真で報じたThe Illustrated London Newsがいかに豊富な内容を備えていたかは、日本でもすでによく知られているが、これはその出版社が大戦に焦点を絞って週刊で刊行した雑誌である。イギリスの参戦が14年8月4日で、この本の第1号は8月12日付けで出されているから、開戦にすぐに対応したことが分る。巻頭に若干長い文章が掲載されている以外は、写真や絵がぎっしりとつまっていて、頁を繰っていくと、戦場の多様な光景をカメラや絵筆で伝えようとした戦場報道家の熱気が伝わってくる。対象となっている兵士は、やはりイギリス軍が一番多いが、フランス兵はじめ他国の兵士も扱われている。戦う兵士だけでなく、戦闘の合間に遊ぶ兵士(たとえば戦艦の甲板でのクリケット風景)の姿も捉えられている。筆者の研究関心との関わりでは、イギリス軍に加わったインド兵や、フランス軍に参加したアフリカ兵、安南(インドシナ)兵など、植民地から動員された兵士の姿が、豊富に示されていることが、きわめて印象的である。アジア・太平洋での日本の戦争については、報道量が限られているものの、大戦の重要な側面であったアフリカ(カメルーンや東アフリカなど)での戦争は、筆者が予想していた以上によく報じられている。
総力戦となったこの大戦では、「銃後」の役割がきわめて重要であったが、その様相も見ることができ、敵側のクルップ社の大砲生産現場の写真さえ掲載されている。この面で特筆すべきは、総力戦体制への女性の貢献を反映して、「女性と戦争」という写真入り記事が継続的に載せられていることであろう。また、飛行機から写した空爆前後の地上風景のように、それまでの戦争では考えられなかった映像も盛り込まれている。破壊された人々の肉体など戦争の残虐な相貌はほとんど出てこないものの、この雑誌は第一次世界大戦についての視覚的資料の宝庫であるといってよい。
それに対して、The "Manchester Guardian" History of the Warは、写真も含みつつ文章を中心として戦争の諸側面を詳しく説明した本であり、1914年を扱った第1巻から1919~20年を対象とした第9巻までの9冊から成っている。各戦線での戦況の記録が中心であるが、ここでも植民地の戦争協力や女性の役割は取り上げられている。アイルランドの「イースター蜂起」やその後の状況、ロシア革命などが詳しく論じられていることも、眼を惹く。また、第5巻の「極東での戦争」という章で、日本が中国につきつけた21カ条要求が全文掲載されていることに見られるように、史料への周到な目配りがなされているのも特徴的で、章の付録という形で史料が付加されている個所もある。
この本が、Manchester Guardian 紙の政治的傾向を反映して、比較的リベラルな視座から戦争を描いているのと対照的な雑誌が、大衆紙Daily Mail傘下の出版元から出された The War Illustrated: Album de Luxeである。小さな活字で組まれた署名入りの文章(第1号の巻頭には、「なぜイギリスは参戦したか」というH. G. ウェルズの文章が載り、コナン・ドイルの文章がそれにつづいている)と、多くの写真や絵から成っているこの週刊誌は、ドイツ兵を指して「フン」という蔑称を多用するなど、保守的、排外的色彩を露骨に見せている。こうした論調が、戦時のイギリスの大衆に受けたことを、忘れてはならない。
これと同じ出版社、編集者によって刊行されたThe Great War ... I Was There! は、以上の三つとは異なり、大戦期ではなく、大戦が終わってから20年後に週刊誌として出された雑誌である。第1号の刊行日1938年9月29日は、チェコスロヴァキアのズデーテン地方割譲をめぐって英仏などがヒトラーに譲歩したミュンヘン会談の日に他ならない。この雑誌は、次の戦争が迫っているのではないかという予感を抱きはじめたイギリス人に、第一次世界大戦の一日一日についての人々の記録や回想によって(たとえば、1914年の開戦の日については、外交官ハロルド・ニコルソンの文章が採られている)、「戦争についての人間的記録」を提示しようとしたのである。この雑誌の刊行終了が告げられたのは、1939年9月19日号であり、9月初めに開始した次の戦争に人々の意識を動員するために新たな歯車が回り始めた時であった。
このように、四つの資料は、同じ大戦を対象としていても、それぞれ内容構成も戦争への視角も異なっており、対象となった読者層にもずれがあったと思われる。一つ一つの資料をひもといていくことも興味深いが、戦争のさまざまな側面について各資料を比べながら読んでみることもまた有益である。この四つの資料を選んで刊行することを決断したアティーナ・プレスに、敬意を表したい。