第一次世界大戦は帝国の戦いであった。それを喧伝したのは新聞、雑誌を中心とするメディアであった。今回復刻されたThe "Manchester Guardian" History of the Warのページを開けば、ターバンを巻いたインド槍騎兵、ラクダにまたがって一列に並んだビカネル[インド北西部]の部隊、豪華に着飾ったマハラジャ父子といった写真がつぎつぎと飛び込んでくる。当初、ヨーロッパで何が起こったかが飲み込めなかったインド現地の上層部が、帝国の大義のために続々と立ち上がる様子を記事は伝えているが、そこでも目を惹くのは、「典型的なシク教徒」「典型的なベンガル槍騎兵」などのキャプションに彩られた写真である。ニュースの視覚化――それにしても、この既視感は何だろう?
この問いは、新聞読者だった(あるいは読者と想定された)当時の「白いイギリス人」がこれらの写真に何を見たかへと向かい、そこにある出来事を思い浮かべる。1897年6月、帝都ロンドンの通りを各植民地軍隊が練り歩いたヴィクトリア女王即位60周年式典(ダイアモンド・ジュビリー)だ。「われわれの国土は世界の隅々にまで広がっている」と多くの国民に実感させた王室儀礼の記憶は、当時まだまだ鮮やかだっただろう。そう教えるのは、われわれ同時代の記憶、2012年6月に行われた現英国君主エリザベス2世のダイヤモンド・ジュビリーである。
ひとつの記憶は別の記憶を刺激する。こうして、われわれの記憶は幾重にも重なり合いながら、「歴史的事実」を作りあげてきた。そこに生まれる誤解や曲解(の可能性)を意識して、写真と言説で再構成された「この戦争」を読む――復刻された歴史資料の醍醐味もまた、まさにそこにある。