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監修の言葉

巽 孝之 慶應義塾大学教授

 19世紀末から 20世紀初めにかけての時期は、アメリカにおける自然主義文学の勃興期として親しまれてきたが、それはまったく同時に、近未来戦争小説と呼ぶべきジャンルの勃興期とも共振していた。しかもそれらの作品群では、日清戦争、日露戦争に起因する黄禍論的言説の蔓延を反映するばかりか米西戦争や米比戦争をも意識して、アメリカの仮想敵に日本や中国を定めるのみならず、ときにフィリピンやメキシコとも共犯関係を結ぶものと見なす風潮が濃厚だった。かくも巨大で豊饒なジャンルを形成しながら長く文学史の底に埋もれていた近未来戦争小説群を、そもそもの起源たるピアトン・ドゥーナーの1880年作品からエドワード・ベラミの痛烈なパロディを試みたアーサー・ダドリー・ヴィントン、科学技術大国となった中国の世界支配を描くオト・ムンド、当時想像できる限りの超兵器を乱舞させるウィリアム・ガン、人種的偏見を撤廃させる平和へのメッセージが印象的なフロイド・フィリップス・ギボンズまで、ここにお届けできるのは望外の喜びである。

 ふりかえってみると、イギリス作家 HG・ウェルズは1897年に雑誌連載され、1898年に単行本として刊行した『宇宙戦争』(The War of the Worlds)において、地球を襲うタコ型火星人に代表される異星からの侵略者のイメージのうちに、西欧文化圏以外の覇者が発揮する恐怖と蠱惑とを同時に投影しつつ、そのエイリアンがじっさいには地球上のウイルスによってあっけなく死滅してしまう顛末を壮大に描き出した。しかしここで肝心なのはむしろ、ウェルズ以後の近未来小説においては、非白人種こそ最大の疫病であり、西欧はまさにそれを撃退する超兵器を不可欠のものとするという視点が導入されることになった点だろう。たとえばギャレット・サーヴィスの『エジソンの火星征服』(1898年)は『宇宙戦争』続編として書かれており、エジソンが火星人以上の電気宇宙船を発明し火星へ押しかけ、結果的に超兵器による異民族殱滅とアメリカ帝国主義を手放しで賞揚するという展開になっている。同じ世紀転換期に活躍した代表的な自然主義作家のひとりジャック・ロンドンJack Londonは、1910年発表の短篇「比類なき侵略」("The Unparalleled Invasion")において、明らかに日露戦争以後の黄禍論に立脚した政治的人種偏見を中心に、ウイルスとしての黄色人種を殲滅するべく、アンチ・ウイルスとしての細菌兵器を解き放つ。同じころには、ロイ・ノートンの小説『ほろびゆく艦隊』(1907年)が、アメリカン・インディアンならぬ共産主義勢力の台頭を「赤い脅威」と見てロシア批判を試みていた。

 とりわけ注目すべきなのは、世紀転換期アメリカ最大の作家マーク・トウェインもまた、1904年から1905年にかけて、疑似童話仕立てのエッセイ「蠅とロシア人」および「黄色い恐怖にまつわるたとえばなし」において、日清・日露両戦争を引き金に湧き起こったアジア系とロシア系双方に対する外敵恐怖を風刺しながら、きわめつけとして米西戦争とフィリピン=アメリカ戦争(1899–1902年)への辛辣な揶揄を含む短篇「戦争の祈り」(The War Prayer”)を書き上げていたことだろう(日本マーク・トウェイン協会英文号Mark Twain Studies2号の特集参照)。しかも、彼がこれを執筆するさい最大のヒントとなった霊感源に、まさしく世紀転換期を代表する日本人知識人・村井弦斎の英文小説が想定される。昨今、黒岩比佐子の本格的評伝『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店、2004年)を得て再評価の気運が高まっているこの作家は1904年、日露戦争をにらみ国際社会における日本の美徳を宣言する意図により、本叢書にも収録した長編小説『ハナ――日本の娘』(Hana: A Daughter of Japan、報知新聞社=ギャランティー社、川合運吉訳、1904年)を発表したが、同書をほかならぬトウェインが1部購入しており、そこには彼が一読した形跡すら残っているのである。はたしてその序文において弦斎はこう書く。「悪意をもって人に血を流させるような行為におよべば、それは犯罪であろう。ただし外科医がメスをふるったとしたら、それは正当なる行いとみなされ、人々に崇められるであろう。戦争とは時として犯罪である。とはいえ、安泰なる国家がやむをえず武器を取り、自らの高潔や栄誉、幸福や平和をふみにじる残虐なる怪物の攻撃をはねかえすときには、その守りの剣は神聖なるものとみなされ、その戦いは世のため大いに貢献することとなろう

 弦斎はこうした戦争の正当化を大真面目な長編ロマンスに仕立て上げたが、トウェインは同じ論理を短篇においてブラックユーモア豊かに表現した。アメリカにおける近未来戦争小説の勃興期は、じつは環太平洋的な文学史の形成期とも重なっていたことを、このエピソードは何よりも雄弁に物語る。