伝統的なアメリカ文学史の枠組みからはこぼれ落ちてしまうところに、アメリカン・ゴシックのひそかな傑作が眠っている。そう感じたきっかけは、かれこれ15年ほどまえの1990年代前半、ニューイングランドの古書店でルイザ・メイ・オルコットの『当世風メフィストフェレス』を入手したときだった。もちろんオルコットといえば、何よりも『若草物語』(1868年)の作者だろう。このアメリカ家庭小説の傑作は、のちに映画化され、いまも多くの少女たちに夢を与えてやむことがない。だが彼女は、19世紀ロマン主義時代つまりアメリカン・ルネッサンスを代表する超越主義哲学者ラルフ・ウォルドー・エマソンの親友にして優れた教育者エイモス・ブロンソン・オルコットを父に持ち、恵まれた文学的思想的環境の中で、反奴隷制思想やフェミニズム思想を培うとともに、ひっそり匿名にて、『当世風メフィストフェレス』(1877年)など大人向けの小説も少なからず書いていた。そこに詰まっていたのは、とうてい『若草物語』からは想像もできない、暗く幻視的かつ背徳的な悪夢に彩られたゴシック世界であった。しかも、この先駆的フェミニスト作家にとって、悪魔に魂を売り渡すファウスト的存在は、すでに男性の問題には限られない。そして、こうしたゴシック作品が南北戦争以後の時代、すなわち文学史的常識ではリアリズムが主流とされる時代に書かれていたことは、そもそもアメリカ文学の伝統とは何だったのかという問題を、あらためて考えさせる。
そのような視点から、今回のアメリカン・ゴシック・シリーズ第2弾は、南北戦争以後の作品を中心にそろえた。オルコット作品はいうまでもなく、本邦でも人気の怪談作家フランシス・マリオン・クロフォードやフィッツ=ジェイムズ・オブライエン、メアリ・ウィルキンズ・フリーマンから、『赤毛のアン』のモンゴメリにも影響を与えたエリザベス・スチュアート・フェルプス、ヒッチコック劇場で「霧笛」が映画化されたことでも著名なガートルード・エイサートンまで、粒ぞろいの作家・作品をどうかお楽しみいただきたい。