アメリカ南部について一般に流布しているイメージとは――広大な綿花畑、どこまでも続くかと見える美麗な並木道、白い巨大円柱をファサードに持つ豪壮な屋敷、贅をこらした調度品、金色の額縁におさまった祖先たちの巨大な肖像画、大勢の奴隷たちにかしずかれ、華やかな衣装に身を包む貴族たち――それはたとえば映画『風と共に去りぬ』の世界ではないだろうか。しかし、南部の全体像を知るにはこれで十分とは決して言えない。
アティーナ・プレス「アメリカ研究基本文献シリーズ」Part 10は、『風と共に去りぬ』の南部には登場しない南部人たち、つまり、この社会に君臨する大農園主たちと最下層の黒人奴隷たちとの中間に存在している人々にスポットライトを当てる。この中間層に存在していた多数の声なき庶民たちの存在を忘れるべきではない――そんな反骨の主張をもった書物が並ぶ。
第36巻、John
Charles Campbell著The
Southern Highlander and His Homeland (1921)は、巨大農園の集中していた大西洋岸からミシシッピ河岸に至る肥沃な土地
“Black Belt”ではなく、好適な耕地に乏しいアパラチアの山中を舞台とする。著者Campbellは生粋の北部人だが、彼は25年にわたり南部高地民の間に宣教師として暮らし続けた。著者の死後、妻によって出版されたこの本は、個人的な体験を素材にして高地民たちの暮らしぶりを温かい共感のまなざしを通して描き出す。南部の厳しくも豊かな自然環境が可能にした鷹揚で素朴な生活とたくましい精神力を称揚し、同時に社会潮流からの孤立と徹底した個人主義の副産物としての教育や衛生への無関心、暴力的慣習、頑迷な宗教観などを指摘、読者にこれら純朴な民への関心と理解と援助を求めてこの渾身の作を閉じる。
第37巻、John
Spencer Bassett著The
Southern Plantation Overseer as Revealed in His Letters (1925)は書名通り、南部大農園にあって農作業から日常生活まで、特に不況期や天候不順時には困難きわまりない実務を切り盛りする役割を担いながら、しかるべき注目を集めなかった、あるいは注目されたとしても横暴で自堕落で狡猾で下品な存在としか見なされてこなかった農場監督をクローズアップした一書。第11代大統領ジェイムズ・K・ポークがミシシッピ州に所有していたふたつの大農場で働く5人の監督が農園の経営状況や黒人奴隷の処遇について事細かに報告した手紙を、そこに書かれた教養に乏しい彼らの拙い文章そのままに再現し、所有者からは押さえつけられ、働き手の奴隷たちからは突き上げられる悲しき「中間管理職」としての実態を紹介する。デューク大学の歴史教授であったBassettは、世紀転換期の南部にあって一貫して黒人への人道主義的な姿勢を貫き、強大な力を持った南部保守派エリート層から弾圧を受けながら果敢に自説を曲げなかった人で、農場監督を取り上げる手際にもそうした態度は反映しており、また同書の端々に奴隷たちの絶望的な逆境における奮闘ぶりをも描き出している。
第38巻、Frank
Lawrence Owsley著Plain
Folk of the Old South(1949)は比較的新しい作品だが、すでに名著の誉れ高い。Owsleyは1890年生まれ、南北戦争終結直前ないし直後に生まれた今シリーズの編著者よりひとつ後の世代に属し、南部農本主義の立場から北部の近代功利主義への批判を大々的にぶちあげたあのI’ll
Take My Stand (1930)の寄稿者のひとりでもある。彼と他の南部保守主義者とは、迷走する北部都市文明に対する南部文化の優位という発想を同じくしながら、その優位性を大農園主および奴隷制度に代表される哲学や価値観ではなく、これまで顧みられてこなかった南部の自作農(yeoman)たちの生き様にこそ見出す。みずからの言動を活字に残す習慣がなく調査は困難とみられていた「素朴な人々」の生活動態を、裁判所記録、教会文書、国勢調査データなど様々な文献から発掘し、南部社会の中核をなす人々の生きた姿を再現する。
このシリーズPart 9では、主として前世紀転換期に刊行された南部上流階級の古い風俗を再現する文献を復刻したが、素朴な庶民の生活を分析したこのPart
10をあわせて参照することで、南部社会の歴史的構成はさらにより立体的に明らかとなるだろう。