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発明史が語る20世紀初期アメリカの息吹

能登路 雅子 東京大学教授

 アメリカ人の開拓者精神を説明するのに、「進取の気性」「発明の才」といった言葉がよく使われる。無一文から出発して、艱難辛苦の末に世の中をあっと言わせる発明に成功するというのも「アメリカン・ドリーム」を彩る立身出世の物語だ。人類史上、最も重要な発明206件のうち、91件がアメリカ人の手によるものといわれるが、そもそもアメリカが発明大国になった背景には、慢性的な労働力不足というこの国特有の事情があった。人間ができることを機械にさせる、そして人間ができる以上のことを機械を使って大量・効率的に行なうという精神こそが、短期間でアメリカを世界一の工業国にのしあげる原動力となった。

 今回、アティーナ・プレスから復刊される3点のアメリカ発明史研究書は、19世紀から20世紀初頭にかけてアメリカ産業のエンジンがフル回転しはじめた時代を活写する貴重な資料である。第39巻のThe Progress of Invention in the Nineteenth Century1900)の巻末近くで、著者は1900年までのアメリカにおける発明特許650,123件は英国とフランスの合計よりも多く、エジソンだけをとっても、1870年と1900年の間に727件の特許を獲得し、100以上の特許を有するアメリカ人発明家は25人をこえると豪語している。危険をものともせず、稲妻に向って凧の実験をしたフランクリンに100年後の電信・電話、発動機、両面刷り印刷機の世界を見せたいという著者にとって、発明の歴史は疑いなく英雄と進歩の物語だった。

 電灯、蒸気機関、刈取り機、ゴムタイヤ、カメラなどの機械技術と並んで、食品や医療における新発明が図版とともに詳細に紹介されているのも興味深い。日常の食べ物が規格化・パッケージ化され、公衆衛生、病原菌や麻酔についての知識が増大したこの時代、アメリカ人の平均寿命は白人で53歳程度、乳児死亡率もまだ高かった。マイナーな発明品としてケーブルカーや機械製腕時計なども登場し、当初は炭鉱で使われていたエレベーターは電動化されて、今や「エッフェル塔や摩天楼建築に欠かせない設備」とされている。新技術を発信する晴れ舞台となった万博との関連も重要なポイントである。

 20世紀の世界を変えることになる自動車は、1900年発行の発明史では、そのころ列車とのスピード競争などが行なわれて大流行していた自転車と一緒の項目で小さく扱われているにすぎない。フルトンやマコーミックを主人公とする第40巻のLeading American Inventors1912)ではほとんど触れられず、第41巻のA Popular History of American Invention1924)上巻になって、ようやく独立した「自動車の隆盛」の項目として本格的な解説がつく。当時、爆発的な売れ行きを示していたT型フォードは「現行モデル」として言及され、今ではアメリカ国民の7人に1人が車を所有し、世界大戦中にはフランスの戦場で55千台のアメリカ製トラックや救急車が活躍したことが誇らしげに語られている。

 これら復刻された20世紀初頭の発明史は、技術開発をめぐる大西洋をはさんだ各国の競争を描写しつつも、全体のトーンとしてはアメリカの国家発展の骨格をなすものとしての発明をナショナル・ヒストリーに明確に位置づけている。たとえば、ヨーロッパの自動車製造に大きく差をつけることになったフォード社の部品互換性という方式は、これより100年以上も前にホイットニーが合衆国陸軍から大量のマスケット銃の注文を受けた際に考案したという歴史的連続性が強調される。そのホイットニーが1793年に綿繰り機の特許を申請した先は当時首都であったフィラデルフィアの国務省で、国務長官ジェファソンはこの新発明に大きな関心を示したこと、さらにはそれから半世紀を経て、綿繰り機は南部に連邦離脱を可能にするだけの富をもたらしたといった南北戦争への影響など、技術と政治の関係性にも目配りがされている。蒸気機関発展史におけるコーリスの貢献はワットと同列に論じられ、家庭内の労働節約に最大の福音をもたらしたのはハウによるミシンであると評価している。

 1867年にタイプライターを発明したショールズが試作品を商業化するにあたってライフルなどの銃器・裁縫ミシン・農機具で知られたレミントン社に製造を依頼するなど、異分野の技術が相互に乗り入れ、自在に応用されていた状況もよくわかる。因みに、新しがり屋のマーク・トウェインの『トム・ソーヤの冒険』はタイプ原稿をもとにした最初の本であるとされている。電話の発明が交換手という新しい職業を生んだように、タイプライターもやがて大量の女性がタイピストや秘書として社会進出をするための道具となる。

 それぞれの発明の着想や試行錯誤の過程、また特許をめぐる熾烈な競争についての描写も読んでいて飽きることがないが、今日におけるこれらの発明史の意義は、ジェット機も原爆もテレビもインターネットも知らなかった時代のアメリカがどのような自画像を描いていたかを、「テクノロジー」を切り口に探ることができるということだろう。もともと広く一般向けに平易な技術的解説とともに発明家個人の奮闘努力の物語に焦点をあてたこれらのシリーズは、20世紀初頭の時点から遡ったアメリカの技術発展の歴史とともに、工業大国に躍進するアメリカ壮年期の文明観や生活文化に関心のある研究者や一般読者に大きな刺激と楽しみをもたらすに違いない。