Athena Press

 

子どもの物語、あるいは自身のそれか

島 式子 甲南女子大学教授

 

 1970年代初頭、留学先のカリフォルニアの大学院の授業でAlice M. Jordan From Rollo to Tom Sawyer (1948)がリーディング・リストに挙げられた。時はベトナム戦争末期、静かなキャンパスの中を学生の徴兵拒否のデモが練り歩き、裸馬に乗るヒッピーの姿があった頃である。授業では、カオスに陥った教育現場、家族の問題が熱心に議論された。およそあらゆるエスニック・マイノリティ・グループの集合するこのクラスで「アメリカ・子ども・児童図書」をめぐり噴出したテーマは「アメリカと自身の物語」だった。クラスでは更に、児童図書と子ども像の変遷の歴史が、かつて子どもだった大人たちにリメモリー(re-memory)として甦り、真のアメリカ性を問う姿勢まで喚起していた。「旧い縛りから、自由になるアメリカの子ども」をめぐって渦巻く論議を遠巻きに眺める外国人の自分の当時の姿が思い出される。

 このたびアメリカ研究基本文献シリーズに加わるのは、「アメリカの子どもと本」の歴史的資料ともいえる研究書9タイトルを6巻にまとめたものである。上記のFrom Rollo to Tom SawyerA Mid-Century Child and Her Books (1926)と並んでシリーズ通巻第47巻に収められている。

 文学は、書き手である作家と出版媒体から、読者である読み手のもとへ運ばれ成立する。それに対し児童文学は、子どもの文化状況が、そこに独自のアクセントを加えている。子どもが本を読む行為に至るまでには、大人の文化、思想が源流にあることは自明で、アメリカの子どもの本の歴史は、そのままアメリカの歴史・文化・社会を映し取ったものであると言っても過言ではない。アメリカ社会の変遷を辿るように、子どもの本は、時代の思考様式、子ども観を取り入れて、弱者としての保守性を保ちながら、自己変身も遂げてサヴァイヴし続けている。

 まず、アメリカの子どもの本は、1640年代、共同社会の中でピューリタン教義を伝えるための教義書として出発したことを再確認しなければならない。ピューリタンは、子どもに潜む原罪の堕落をくい止め、異端の始まりともいえる「無知」を修正するため、聖書を読む教育に心血を注いだ。その結果、子どもが画を好み更に散文より韻文のほうが易しく覚えやすいだろうという理由で画入りのABC本や、詩の形をとったものが考案され(Vol. 43)、『ニューイングランド初等読本』(The New –England PrimerVol. 44)を出発点として、教科書はその歴史を積み上げていくことになる(Vol. 45)

 無知なるものに、知識を教授し、読む力をつけ、実践的な人間を形成する。その際、もっとも重要なのは読書力である。17世紀イギリス植民地時代の13州では、白人男性の識字率が高く、女性は読み書き能力が問われない性であった。子どもの本は、イギリスからの輸入品の地図、博物学、説教集、学校図書、教科書、教理問答などピューリタニズム一辺倒だった。これを変革したのが、独立後、南北戦争を経るなかでアメリカ文化が経験した、経済面、社会面での発達、特に出版の歴史の飛躍的発展であることは間違いない。中産階級の誕生、家族における女性の役割の変化とともに、「子ども」という時代に価値が見出され、女性作家や女性読者が劇的に増加した。「読書」が生活の欠くべからざる一部となり、子どもの本は教訓が底流をなす道徳本から、子どもをリアルに描く、おもしろさをより重視した領域にまで拡大することになる(Vol. 46, 47)。ダイム・ノヴェル(Vol. 48)の徹底した大衆性、非道徳性は、大人の非難を覆す「時代のリアリティ」であり、同時に良質の安価児童書シリーズが時の出版界をサポートするバランスも生まれてゆく。

 同時にアメリカの社会には、謹厳で実直な個人の道徳性を重んじ、経験を柱にするニューイングランドの伝統思想が底流を占め、独立後のナショナリズムと民主主義を基本理念に未来の良き市民養成意識が脈々と続いている。シリーズ冒頭のVol. 43を、アイデンティティ、マルティカルチャリズム、ジェンダー、格差社会に関する歴史的洞察のめぐらされた実践的なレポート集Children's Rights が飾るのは、その観点から意味深いことである。このシリーズの文献は、社会経済史、教育思想史、出版文化史研究の資料として重要であるとともに「アメリカの子どもの物語」として、すべてのアメリカ研究に必須の要素を備えている。