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アメリカ映画学の黎明期――アメリカ映画批評史・教育史を展望するための貴重な資料集

中垣 恒太郎 大東文化大学教授

 

 初期アメリカ映画にまつわる本復刻シリーズ(Part 19)は『アメリカ映画:初期の「映画論」(全4巻)』として、映画の誕生から1927年のトーキー映画登場の転換点に至るまでにいかに映画が芸術として評価されていったのかを探るための基礎文献が収められている。

 Victor Oscar Freeburg (1882–1953)は1915年から17年までコロンビア大学で教鞭をとり、米国の大学での最初に開設された映画学講座(Photoplay Composition)を開講していた。新しい芸術としての映画表現の可能性を逸早く評価しており、Freeburgによる著書The Art of Photoplay Making (1918)およびPictorial Beauty on the Screen (1923)は観客の心理分析などに焦点を当て学術性の高いものとして評価されている(【Vol. 73】)。後の観客(受容)論などと比較するのも有効だろう。このFreeburgの講座を引き継いだのが女性映画研究者であり、脚本の実作にも携わっていたFrances Taylor Pattersonである。Freeburgが講座担当を外れたのは徴兵による理由であり、映画制作を含む同時代の背景として第一次世界大戦の影も見過ごせない。Pattersonはこのコロンビア大学での講義を踏まえて2冊の著書を刊行しており、それが本シリーズに収められているCinema Craftsmanship: A Book for Photoplaywrights (1920, 2nd edition, 1921) およびScenario and Screen (1928)である(【Vol. 74】)。パラマウント映画は彼女が教育で使用するための映像制作をサポートしており、映画業界との連携もなされていた。また、Pattersonは大学の正規授業に加え、一般開放向け講座(エクステンション・プログラム)も担当しており、一般の受講者に対しては良き観客に育てることに腐心し、幅広い需要に応えていた。

 FreeburgからPattersonへと継承されたコロンビア大学の映画学講座では、物語にまつわる方法論(ストーリー分析)のみならず、視覚面での分析にも留意している点に特徴がある。さらにPattersonは、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1924)やドイツ表現主義の代表作となる『カリガリ博士』(1921)など同時代の新しい芸術表現としてのモダニズムの手法に対しても積極的に評価する姿勢を示した。

 初期の映画学を展望する上で重要な人物として、さらに詩人Vachel Lindsay (1879–1931)を挙げることができる(【Vol. 72】)。Lindsayの詩人としての代表作に“Congo” (1913)という詩があり、1885年から1908年にかけて、ベルギー王であるレオポルド2世によって私領地とされていた、コンゴ自由国(現・コンゴ民主共和国)における植民地支配の問題を背景としている。アフリカの原始主義的魅力を全面に押し出した詩はやがて歌となり、マイノリティの文化伝統を称揚するLindsayのスタイルはWalt Whitmanの系譜に連なる「大衆的な吟遊詩人」、詩と歌を組み合わせる現代詩の先駆者として位置づけられている。こうしたパフォーマンス芸術や大衆文化の先駆者としてのLindsayがどのように新しい表現芸術である映画を捉えていたのかが読みどころとなるだろう。まだ大衆娯楽の域を出ていなかった映画の黎明期に映画の芸術性を高く評価していた点、また、第一次世界大戦の影が色濃い中、プロパガンダとしての映画の機能について触れている点などをLindsay独自の視点として見ることができる。さらにFreeburgの映画論と比べることで両者それぞれの映画観も浮かび上がってくる。Freeburgのコロンビア大学での講座ではLindsayの著作The Art of the Moving Picture (1915, 2nd edition, 1922)をテキストの一部として扱っており、Lindsay自身もゲスト講師としてしばしば招かれていたらしく両者には共通点も多いが、大学という制度における映画学講座の担当者としてのFreeburgの学術的アプローチに比して、Lindsayは表現者としての立場から映画という表現芸術を捉えている点に両者の対照性を見ることができる。また、両者のサイレント映画観の違いとして、サイレント映画にはしばしば状況を説明するための文字表現が用いられるが、Lindsayは極力、文字表現に頼らない作品を理想としていたのに比してFreeburgの方がより柔軟に映画の可能性を捉えていた。

 あるいは、Epes Winthrop Sargent (1872–1938)による、Technique of the Photoplay (1912, 3rd edition, 1916) はヴォードヴィルを専門としていた批評家であり、雑誌などを初出とする評論の集積である(【Vol. 71】)。大衆娯楽の枠組から映画がどのように批評家から捉えられていたのかを探ることができる。

 このようにそれぞれの映画論のアプローチにおける細部の対照性を分析することにより、映画の鑑賞方法がまだ未整備であった時代にどのように表現芸術としての映画が捉えられていたのかを探ることができる。中でも、D. W. Griffithに代表される長編芸術映画の登場、第一次世界大戦期の映画のあり方、モダニズムをはじめとする実験的手法の隆盛、サイレント映画からトーキーへの移行、産業として急成長していく映画業界の様子などをも含め、急激に変貌を遂げつつあった映画の黎明期における同時代の反応をたどる貴重な証言集となっている。また、大学という制度の中での映画研究の黎明期を、その後の映画学の発展史を参照しながら捉え直すことも有益であろう。大学、表現者、批評家など様々な観点から新しい表現芸術である映画がどのように見えていたのかを探る上で本復刻シリーズはとてもよく目配りされたアンソロジーであり、アメリカ映画批評史・教育史を展望するために不可欠な基礎資料となっている。