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「アメリカ」と「写真」をめぐる歴史的資料

高村 峰生 神戸女学院大学准教授

 

 ウォーカー・エヴァンスの1938年の記念碑的な写真集である『アメリカン・フォトグラフス』というタイトルは、簡潔に「アメリカ」と「写真」の結びつきの強さを語っている。「芸術的な」写真も、商業主義的な写真も軽蔑していたエヴァンスは、ニューディール期に生きる「名もなき人々」を写真に収め、彼らこそが「アメリカ」を代表していると考えたのであった。

 写真はアメリカという国の歴史や文化にじつに深く入り込んでいる。もちろん、アメリカに限らず、20世紀以降、写真は世界を覆い、世界を構成している。それは記録の媒体であり、伝達の手段であり、「動かぬ証拠」であり、過去の記憶を喚起するものであり、芸術表現である。写真は、国家の発揚のためのプロパガンダにも、戦争の悲惨さを伝える媒体にもなる。それはつねに事実を伝えるとは限らない。時に、我々を欺く。確かなことは、写真は人類史において数ある発明の内の一つだったというに留まらない重要性を持っているということだ――それは人間の持っている時間や空間、世界のイメージを不可逆的に変質させた。「アメリカ」と「写真」が特権的に結び付くとするならば、それは20世紀という時間がこの国家を抜きに語れないことになかば由来している。この歴史の短い国家は、その多くの部分が写真という媒体を通じて語られてきたのである。

 今回、「アメリカ研究基本文献シリーズ」Part 20として復刻される資料群は、ニエプスやダゲール、トルボットらによって1820~30年代に発明された写真がアメリカにおいてどのように受容され、評価され、発展を遂げたかということを知る重要な足掛かりとなる。

 具体的に内容を紹介していきたい。

 第75巻のMarcus A. RootによるThe Camera and the Pencil (1864)は、上に言及したトルボットによる世界最初の写真集であるThe Pencil of Nature(2016年に邦訳も出版されている)に言及したタイトルを持つ、本格的な写真術のハンドブックであり教科書である。その内容は写真の仕組みや構造、写真史的な記述も含んではいるが、中心となっているのは実践的な写真撮影技術であり、光線や背景、被写体の姿勢や目線、表情、コスチュームなど、肖像画を撮影する者がわきまえておくべき事柄について詳述されている。著者のRootは、このような撮影技術の細部への心配りが写真を芸術へと高めると考えていたのである。

 第76巻のRobert TaftによるPhotography and the American Scene (1938)は、A Social History, 1839–1889という副題を持つように、写真が発明されてからの半世紀の歴史を、アメリカ合衆国を中心に精緻に辿った一級の写真研究書であり、読んで楽しい書物でもある。たとえば第一章においては、フランスにおけるダゲールの発明がアメリカにおいては半信半疑で受けとめられたという経緯を、当時の新聞が部数を伸ばすためには平気でデマを掲載していたという事情と共に紹介している。また、モールス信号で有名なモールスがアメリカにおける写真技術の紹介に大きな貢献をしたことも知ることが出来る。このモールスのもとで写真を研究し、南北戦争の従軍写真家として活躍したマシュー・ブラディは1930年代のニューディール期に再評価された写真家であるが、このタフトの書物も彼の地位を確立するのに一役を買っている。

 第77巻のEdward L. WilsonによるCyclopædic Photography (1894)は、写真についてのさまざまな事項がアルファベット順に説明されている事典であり、多くの図解を含んだ丁寧な記述によって構成されている。この書物の存在は、19世紀の終わりころまでには相当程度の数の写真愛好家が存在していたことを物語るとともに、写真とはレンズの種類や暗室の構造、現像液の調合の仕方など、様々な科学的知識を要する複雑な技術であったことを思い起こさせてくれる。

 第78巻には芸術論的アプローチによる二つの書物が収められている。まず、Charles H. CaffinのPhotography as a Fine Art (1901)は、写真を芸術的な表現に高めようとした同時代の写真家たちを評価しようとしたもので、とくにその当時ニューヨークにおいて影響力を強めていたアルフレッド・スティーグリッツとガートルード・ケースビアにそれぞれ一章ずつを割いている。とりわけ、スティーグリッツがこのころ実践し始めていた「ストレート・フォトグラフィー」という手法への言及と考察があるのは、出版時期を考えると、きわめて機敏な反応であると言えるだろう。もう一つの書物Paul L. AndersonのThe Fine Art of Photography (1919)は、全く対照的に、スティーグリッツによって否定された装飾的な写真表現形式であるピクトリアリズムの価値を擁護した書物である。1919年という時期において、このような主張は保守的に響いたかもしれない。しかし、それもまた一貫した写真芸術観であり、現代においてしばしば議論となるデジタル写真の「加工」の問題とも通じる論点である。これら二冊の書物はともに写真を芸術へと高めようという意志においては共通しながら、その方法においては全く逆になっており、両者が収められた本巻は当時の写真芸術をめぐる争点を浮き彫りにしている。