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不都合な歴史、さえも

巽 孝之 慶應義塾大学教授

 

 歴史を動かした決定的事件は、それ自体が文学作品に匹敵する意義を持つ。

 たとえば南北戦争150周年に当たる2011年から2015年にかけての五年間というもの、同戦争に伴い黒人奴隷解放を成し遂げたエイブラハム・リンカーン第16代大統領の偉業を再確認する意味合いで、ロバート・レッドフォード監督の『声をかくす人』やスティーブン・スピルバーグ監督の『リンカーン』、そしてティム・バートン製作総指揮の『リンカーン――秘密の書』など多くのリンカーン映画が相次いだ。そうした映像群で披露される多様なリンカーン表象がどのように成立したのかを知るには、本シリーズの第 81巻、ロラード・タフトによる 1921年の名著『彫刻の現代的趨勢』による比較彫刻研究が啓発的であろう。今日でも、独立戦争から第二次世界大戦まで、アメリカ史上不可欠な戦争は、それぞれ毎年のようにどこかで歴史考証をじっくり加えた再演イベントが行われており、その中でも南北戦争の分岐点たる一八六三年のゲティスバーグの戦いを当時の南北両軍の軍服を再現して行う再演が花形になっているが、そうしたイベントにおいても、歴史的な彫刻や記念碑のイメージ喚起力は絶大であった。

 その実例は枚挙にいとまがないが、最大のものはサウス・ダコタ州はラシュモア山に顔が刻まれた四人の偉大な大統領、すなわちジョージ・ワシントン、トマス・ジェファソン、エイブラハム・リンカーン、そしてシオドア・ローズヴェルトの肖像「ラシュモア山国立記念碑」をおいてあるまい。ワシントンとジェファソンはアメリカ独立戦争に伴う世界初の民主主義国家の成立を象徴し、リンカーンは南北戦争に伴う奴隷解放と南北再統一を、そしてローズヴェルトは米西戦争に伴うスペイン帝国主義の打破とほかならぬアメリカ合衆国自体が新たな帝国となった時代の到来を、それぞれ表象する。この彫刻の仕事を委嘱されたアイダホ州生まれの芸術家ガットソン・ボーグラムの初期の仕事については、今回のシリーズでは第 82巻に入るジョゼフ・マクスパッデンの 1924年の名著『アメリカの著名彫刻家たち』に詳しい。彼は各大統領を 18メートルを超える大きさでデザインし、工事は1927年から41年まで、 14年間もかかったが、それは未曾有の好景気に湧いた1920年代ジャズ・エイジの末から30年代の大恐慌時代を乗り越えたアメリカ合衆国がハリウッド黄金時代を経て、文字通り41年に日米開戦になだれ込むまでの歩みだったことを考え合わせるならば、まさにアメリカが帝国から超大国へ膨れ上がる歴史にふさわしい。けれども、ここでアメリカのナショナリズムがもたらした巨大芸術が、そもそもなぜサウス・ダコタ州に建立されたかに思いを馳せることも不可欠だ。というのは、この州こそは、かつて1890年12月29日にウーンデッド・ニーの虐殺が起こり、それをもって北米白人にとっての未踏の大地すなわちフロンティアがついに消滅し、北米全土の白人支配が確立した瞬間の象徴だからである。したがって、1941年に完成した「ラシュモア山国立記念碑」は、まさに白人の勝利を高らかに謳い、インディアン虐殺という過去を隠蔽するものであった。けれどもさまざまな論争を経て21世紀を迎えた2003年のサウス・ダコタには、インディアン敗北を象徴するとともにラコタ族の偉業を讃える場所として、ウーンデッド・ニー記念博物館が建立されている。かつてケネス・ E・ フットは『記念碑の語るアメリカ――暴力と追悼の風景』(原著1996年、和田光弘他訳2002年、名古屋大学出版会)において、アメリカ史上重大な歴史的瞬間は必ずしも輝かしいものばかりではなく恥辱に満ちたものも多いため、記念碑建立についても聖別、選別、復旧、抹消というカテゴリーに分ける必要を説いた。それは、白人にとって都合のいい歴史もあれば不都合な歴史もあったこと、にもかかわらず、今日ではさまざまな多文化的言説を吸収し咀嚼されることにより、それら双方が新しい歴史へと組み替えられる可能性を示す。

 こうした歩みは我が国とも無縁ではない。かつて1995年5月の開催をめざして、米国ワシントンDCはスミソニアン博物館で開催予定だった原爆展の企画内容が、多元文化時代ならではの政治的正義を念頭に置くアメリカ軍人団体や議会、マスコミの強力な反対により中止されている。加えてつい最近、 2018年には、米国西海岸サンフランシスコが従軍慰安婦像の市内建立を認めたため、大阪市がサンフランシスコ市との姉妹関係を解消するという動きも見られる。彫刻と記念碑がいかに文学的かつ政治的意義を帯びているか、そしてそれはいかに環太平洋的問題とも不可分であるかを考えるためのヒントが秘められている点でも、本シリーズの名著復刻は見逃せない。