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人種と音楽を言語化する試み

大和田俊之 慶應義塾大学教授

 

 戦間期のアメリカ合衆国、とりわけニューヨーク市では、ハーレム・ルネサンスと呼ばれるアフリカ系アメリカ人文化の復興運動が華開いた。詩人のクロード・マッケイや作家のジェームズ・ウェルドン・ジョンソンによって先導され、アラン・ロックが編纂した『ザ・ニュー・ニグロ』(1925)をひとつのマニフェストとする運動は、文学や演劇だけでなく音楽文化にも多大な影響を及ぼした

 ハーレムに位置し、多くのアフリカ系アメリカ人音楽家が出演したコットン・クラブは、その名(綿花クラブ)が示す通り、人種差別的なイメージに溢れる白人顧客向けのナイトクラブではあったものの、1927年から31年に専属バンドとして活動したデューク・エリントンは、ここでの演奏を通してそのクリエイティヴィティが開花したといわれている。また、ベッシー・スミスなどのブルースシンガーやルイ・アームストロングなどのジャズ・ミュージシャンも、この時代に名声を確立した

 ハーレム・ルネサンスの契機となったのが20世紀前半のアフリカ系アメリカ人の大移動であることはよく知られている。それは工業化が進む北部都市での労働力需要の高まりと、南部で激化する人種差別的な暴力(リンチ)からの逃亡を要因とし、数百万人に及ぶアフリカ系アメリカ人が南部から北部の都市部に移住した。そして世紀転換期に南部で発祥したブルースやジャズなどの黒人音楽は、それに伴って全米に広がったのだ1920年にはメイミー・スミスが黒人女性シンガーとして初めてブルース曲をレコーディングし、それが大ヒットしたことでそれぞれのレコード会社は全国の黒人コミュニティーに特化した「レイス・レコード」を制作し始める。アフリカ系アメリカ人向けの音楽市場が全国的に拡大し、多くの黒人ミュージシャンが活躍する機会が与えられた。

 また、この時代にブルースやジャズなどの黒人音楽はアメリカの国民文化として承認を受ける。第一次世界大戦の戦場となったヨーロッパの多くの国々は疲弊し、1920年代に入り国際社会におけるアメリカ合衆国の優位が示された。国内では文化的アイデンティティーに関する議論が沸き起こり、1891年に亡くなった作家、ハーマン・メルヴィルがシェイクスピアに匹敵する「アメリカ文学の巨匠」として発掘され、小説『白鯨』を中心とするメルヴィル・リヴァイヴァル(再評価運動)が興隆する。1928年に議会図書館内にアーカイヴ・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック(アメリカ民俗音楽保管所)が設置され、カリフォルニア大学バークレー校英文科で教鞭を取る民俗音楽蒐集家、ロバート・ウィンスロウ・ゴードンが初代部門長として任命されたのも、まさにこの文脈によるといえるだろう。ブルースなどのアフリカ系アメリカ人の民俗音楽は、ヨーロッパには存在しないアメリカ独自の文化として国家的なお墨付きを得たのだ。

 本コレクションによって復刻された14の著作は、まさにこの時代に出版された黒人音楽に関するテキスト群である。Volume83から85のなかでも1922年に出版されたトマス・W・タリー『ニグロ・フォーク・ライムズ』が決定的に重要なのは、それがアフリカ系アメリカ人によって編まれた書であるからだ。タスキギー大学やフィスク大学で化学や生物学を教えたタリーは音楽学者ではなかったが、フィスク・ジュビリー・シンガーズにも参加した経験を持ち、幼少期に自分が親しんだ楽曲を中心に350曲ほどを本書に収録した。

 Volume 86から89はよりアカデミックな書物が続くが、ノース・カロライナ大学社会学部を創設したハワード・W・オダムが、弟子のガイ・B・ジョンソンとともにアフリカ系アメリカ人コミュニティーの社会、宗教、それに労働に関する歌を集めた『ニグロ・アンド・ヒズ・ソングズ』は、この分野の古典として現在もしばしば参照される。本書をめぐって昨今話題に上がるのは、オダムとジョンソンが黒人民謡に関するインフォーマントとして接したジョン・ウェズリー・「レフト・ウイング」・ゴードンの存在であり、このアフリカ系アメリカ人との交流を通して、オダム自身の黒人観に大きな変化が現れたといわれている。

 Volume 90から92は大戦間期に活躍したミュージシャンの自伝が収められている。ルイ・アームストロングの『スイング・ザット・ミュージック』はひとりのアメリカ音楽家の自伝というだけでなく、ジャズの歴史を考察する上でも不可欠な書物だし、WC・ハンディーの自伝も、彼がミシシッピ州タトワイラー駅で列車を待っていた際に「これまで聴いたことがない奇妙な音楽」を耳にしたと言う、ブルースの起源に関する決定的な証言を含んでいる。(アメリカ上院議会はハンディーのこの1903年の逸話をもとに、2003年を「ブルース100周年」と制定した。)

 いずれの著作もアフリカ系アメリカ人の歴史や文化を理解する上できわめて重要なテキストであり、音楽という本質的に「ephemeral=儚い」営みを言語化する困難と向き合った記録としても貴重である。これらの書物には同時代の黒人文化に対する白人のまなざしだけでなく、アフリカ系アメリカ人がいかにして自らの文化を定義づけるかという試行錯誤も読み取れる。アメリカ文化に携わるすべての人が一度は目に通すべき書物だといえるだろう。