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学者が作ったアメリカ

巽 孝之 慶應義塾大学名誉教授/慶應義塾ニューヨーク学院長

 

 アメリカ文学研究を専攻して40年以上の歳月が流れた。1980年代中葉にはニューヨーク州北部のイサカにあるコーネル大学大学院で約三年を過ごし、以後もフルブライトの援助やサバティカルなどで長期滞在したことは少なくない。そして昨年2022年からはニューヨーク州とコネチカット州のほぼ州境に位置する学園に勤務して、一年半以上が経った。自他ともに認める「アメリカニスト」なのである。

 ところが――今回はマンハッタンから車ないし電車で40分から1時間というロケーションに暮らしているせいか、19世紀アメリカ・ロマン派草分けの文豪ワシントン・アーヴィングの重厚な『ニューヨーク史』(1809年)をひもとくことが多くなり、これまで通り一遍の知識しかなかったニューヨーク州が、思いのほか複合的な成り立ちをしてきたことを、改めて実感した。

 たとえば、現在の勤務先はニューヨーク州とコネチカット州の州境に接するウェストチェスター郡ハリソンに位置しているので、マンハッタンからそこを目指すならば、「アン・ハッチンソン・リバー・パークウェイ」という名の高速道路を利用せざるを得ない。アメリカ文学史に親しんできた読者はギョッとするだろう。そう、17世紀前半に活躍したアン・マーベリー・ハッチンソン(1591-1643年)は、教会という制度が要請する「業の契約」とそれを唱える牧師たちを批判し、個人と神の間のみで「恩寵の契約」を結ぶべく自宅で聖書を学ぶ会(ブッククラブ!)を行うという暴挙に出たがためにピューリタン聖職者たちの反発を買い、いわゆる反律法主義論争(アンチノミアン・コントロヴァーシー)、つまり異端審問(1636-38年)の被告となり、ついには破門されてマサチューセッツ植民地の隣のロード・アイランド植民地へ放逐された女性なのだから1642年に夫が亡くなってからは、より暮らしやすい場所を求めてニューイングランドを離れ、ニューヨーク州東部の川沿いのペラムに居を移す。ところが1643年、原住民のマンハッタン族に家族丸ごと虐殺されてしまう。当時、現在のニューヨーク・シティを「ニュー・アムステルダム」と名づけ勢力を誇ったオランダ系とその子孫は、そんなハッチンソンを不憫に思い、彼女をリベラル・イデオロギーの起源として称えるようになり、その結果、20世紀には彼女の名を冠した高速道路がもたらされる運びとなったのだ

 そればかりではない。現在では2001年の9.11同時多発テロ現場付近として知られる世界最大の金融街ウォール街が、いったいなぜこのように命名されたか。そのゆえんはオランダ系の猛者ピーター・ストイヴェサントが1647年にニュー・アムステルダム総督に任命され、1653年にはニューイングランド系の猛攻に対抗するため、万里の長城にも喩えられる文字通りの「防壁」(ウォール)を、今日のマンハッタン南端に半マイルほども張り巡らせたことにある。その名はオランダ系とイギリス系の激越な闘争の名残りにほかならない。

 このたびお目見えする「連邦作家計画のアメリカン・ガイド・シリーズ:北東部」は、そうした植民史をも踏まえながらニューイングランド諸州(メイン州、ヴァーモント州、ニューハンプシャー州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州)とミッド・アトランティック諸州(ニューヨーク州、ニュージャージー州、ペンシルヴェニア州)を活写し、それぞれの州の個性をくっきりと浮かび上がらせてくれる。

 ここで注目すべきは、シリーズ各巻が、タイトルにいう「ニューディール政策期のアメリカ」において成立したということだ。それは19291029日に株式市場が大暴落し、いわゆる大恐慌時代が始まってからというもの、1933年に第32代大統領となったフランクリン・デラノ・ローズヴェルト大統領の新規巻き直しによる、ケインズ流の経済政策により合衆国全体が国家再建を測っていた時代をさす。

 その中心を担ったのが、1935年に発足した「公共事業促進局」(Works Progress Administration)、別名「雇用推進局」なる機関である。それまでのアメリカは国家による市場介入を最低限にとどめる自由主義だったが、大恐慌時代には政府が市場経済に積極的に関与する国家資本主義を標榜するようになり、失業者に対し手当給付したり生活保護したりするのではなく、むしろ失業者を大量雇用する公共事業を一気に拡大していく。この過程で生まれたのが、アメリカ作家の登用計画である。

 なにしろリチャード・ライトからジョン・チーヴァー、ソール・ベロー、ケネス・ロクスロス、ゾラ・ニール・ハーストン、さらにネルソン・オルグレンに及ぶ、今日でも広く親しまれているアメリカ作家たちが、各州の主たる共同体における土地柄から人柄までを生き生きと描き出し、まさにアメリカ全体が経済的奈落の底へ突き落とされていた時代に、その魅力を再評価しようとしたのだから、読みごたえ充分。しかも、その達者な記述に触れるなら、このシリーズは最終的に一種の観光ガイドとして人々を各地への旅行へ誘い出し、まさにそれによって国家全体の経済的再活性化を図っただろう。今日われわれの知っているアメリカ北東部各州のイメージは、まさに大恐慌とニューディール政策期という困難な時代だったからこそ、当時を代表する文学的才能が集って筆を競い合い、その結果作られたものかもしれない。