北東部諸州についてはアティーナ・プレスからすでに刊行されているアメリカン・ガイド・シリーズに、このたび南部17州が加わることとなった。これらのガイド本は、ニューディール政策で知られるフランクリン・ローズヴェルトが、その社会主義的実験として押し進めた連邦作家計画(FWP)の一環であり、これに雇用され執筆を担当したことでアメリカのローカルな過去と現在を見つめ直し、そこから文学的に開花した作家たちも少なくないことから、本シリーズは単なるご当地案内の記録文書という以上に歴史的な価値を持つ一次資料となっている。
FWPが導入された1930年代とは、あらゆるアメリカ人が挫折と敗北を味わった時代であり、大恐慌は、南北戦争と比較しうる国家的危機であるとみなされた。そのことを象徴的に示すのが、1936年に出版された『風と共に去りぬ』の大ヒットである。奴隷制南部を美化するものとして今日では問題視される小説が、北部を含む全米で当時ベストセラーとなりえたのは、逆境にひるまないヒロインの不屈の精神が、その普遍的な位相において、危機の時代に何とか活路を見出そうとしたアメリカ国民一般の想いに共鳴したからである。つまり誤解を恐れずに言えば、大恐慌の時代とは、アメリカという国家自体が「南部化」した時代だったのであり、その意味でも、南部諸州のアメリカン・ガイド・シリーズはFWPの本質的な意義を可視化する。
従来のアメリカ文学史において、大恐慌から第二次世界大戦に至る期間というのは、プロテスト文学の時代と区分されていた。そこでは、スタインベックの小説や、クリフォード・オデッツの演劇など、社会参加の姿勢を打ち出す左翼文学が時代を体現するものとされた。しかし、そうした政治的レッテルをいったん措いて、マイケル・ザレイがニューディール・モダニズムと呼んだ概念を補助線とするならば、文学とはむしろ、食品や他の日用品と同様、生活に必要な「商品」として立ち現れてくる。市場における文学の需要が著しく低下した時代にあって、ニューディール政策は、芸術・文化の意味を認め、人文学的いとなみの復権をもたらした。
実際、FWPは当時、経済的な安定を得るのが難しかった作家たちにとって、きわめて魅力的な企画となった。これに参加したゾラ・ニール・ハーストンの少なからぬ作品がフロリダのフィールドワークから着想を得ていることや、リチャード・ライトがFWPのために行ったシカゴでの調査を『アメリカの息子』へと昇華させたことはよく知られている。南部作家に関して言うと、20代後半のテネシー・ウィリアムズも、ニューオーリンズへ移り住むことを決意した際、雇用促進局による連邦作家計画の仕事に応募している(が、けっきょく採用はされなかった)。近年、アメリカ文学との関わりにおいてFWPの再評価を促す研究書も次々出版されている。たとえばDark
Mirror: African Americans and the Federal Writers’ Project
(2021)
は、ハーストンやライトのみならず、アン・ペトリやラルフ・エリスンなど、プロジェクトに関わったアフリカ系アメリカ人作家たちにスポットを当てる。また、Rewriting
America: New Essays on the Federal Writers’ Project
(2022)
は、アフリカ系に加え、アジア系やメキシコ系や女性など、FWPと多文化主義の諸相をさらに掘り下げている(後者の論集には、FWPによって収集された奴隷体験記とアーネスト・ゲインズの作品を比較検証する峯真依子の論考が収録されている)。
アメリカン・ガイド・シリーズについてはしかし、幸か不幸か、各記事の執筆担当者名がまったく記載されていない。文章が匿名であるがゆえ、一体どの部分を誰が執筆したのか、隔靴掻痒の感がある一方、謎を示されると逆に、執筆者を特定したくなるのが研究者の性である。これまでにも、とりわけ、フロリダ州のガイドに深くコミットしていたハーストンが自ら筆を取ったのはどの箇所なのか、人々は興味を掻き立てられてきた。もちろん、他の一次資料との照合作業等を経て、ハーストンの筆になるものであることがすでに特定されている箇所もある。けれども、ハーストンが現地調査で収集したとされる民話等を集めた最初期のThe
Sanctified Church
(1981)
では、“Daddy
Mention”と題された文章など、実は別人が書いたものを彼女の作品として誤って収録していたような例もあり、Go
Gator and Muddy the Water
(1999)の編者、Pamela
Bordelonがそうした間違いを正すなど、推理と誤認と修正の試行錯誤は今なお続いている。
ちなみに筆者は、フロリダ州のガイドで“Music
and Theater”を紹介するセクションはハーストンの執筆担当であると直感しているが、それについていまだ学術的な証明はなされていない。このガイドにおいて、テレピン油キャンプの労働者が口ずさむ愛の歌を紹介する筆致などは、彼女が残した小説やエッセイの細部とも響きあっており、ハーストン文学の詩的な魅力をそのまま宿していると言ってよい。かくして、アメリカ的な想像力の地下鉱脈を成すこのシリーズから、今後いかなる文学的原石を発見しうるのか、我々のさらなる期待と挑戦はまだまだ尽きることがない。