Athena Press

 

アメリカ南部の大農園主、その神話的由来をたどる

後藤 和彦 立教大学教授

 奴隷制度を擁し、戦争に敗れたアメリカの南部は、アメリカにあって常に異彩を放ってきた土地だ。従って南部人は、アメリカの他の地域と自分たちの故郷との差異にいつも敏感にならずにはいられず、また故郷について語らずにはおれない人々だ。

 今回、アティーナ・プレスから復刻されるのもこうした南部人たちの南部論で、だからこれらの書物の読みどころは、古い南部の生活の感触を南部人自身の証言によって知るというこれらの書物の実質もさることながら、彼らの語る調子そのものにもある。人が自分の故郷を語れば、一般に愛憎半ばする調子が表れるものだが、特に南部人にとっては、故郷のたどってきた道のりがアメリカにおける「異端」の歴程であったので、そのような調子は一層顕著となり、時として過剰に奔出することとなる。そしてそこには、彼らの語りが対象としている時代だけではなく、彼らが生きて語っていたその時代もまたかいまみえる。

 第33巻、Samuel Chiles MitchellHistory of the Social Life of the South1909)は、南部の全貌を明らかにしようという壮大なプロジェクトの一環として、特に南部社会の人口動態、階級および人種関係、宗教、教育、芸術など様々な分野にそれぞれの専門の論客が集い、一項目について長くとも20ページ程度の簡潔な紹介・解説を付した。編者Mitchellは、南部人のあいだには共に苦難と悲しみを分かち合い耐えてきた“ a community of feeling ”があると言う。実際、この書物が出版された世紀転換期は人種をめぐる暴力が猖獗をきわめた時代で、南部社会が「いまだ生成過程にある社会なのだ」というMitchellの言葉は、Alfred Holt Stoneの担当した「南部における黒人種」の項目における「南北戦争前にあった人種間の情け深い関係がここ数十年に消え去ってしまった」という慨嘆と即応している。故郷の歴史の悲劇的展開に寄せる南部人の告白と弁明の不安定なバランスがここには読み取れる。

 第34巻、Philip Alexander BruceSocial Life of Virginia in the Seventeenth Century1907)は、1607年入植以来のヴァージニア植民地の社会を総合的に分析し論じた三部作の第二作。Bruceには、敗戦後の荒廃から立ち上がり、近代化を遂げようとする新しい南部の活力を称揚する著書もあるが、ここでは逆に戦争はるか以前にさかのぼり、南部でもっとも古く、南部人の精神的支柱たる英雄達を輩出したヴァージニアという土地に目を向け、特に母国イギリス上流社会の精神や風土との類縁性を強調しつつ、麗しき伝統の始まりを言祝ぐといった調子が支配的となっている。著名な南部史家C. Vann Woodwardは、敗戦後まもない時代を生きた南部人たちはほぼ一様に新南部の躍進への過剰な期待と、歴史のかなたに去った南部の神話時代への郷愁的没入とに引き裂かれた心境を呈すると述べたが、5歳で戦後を迎えたこのBruceはまさにその典型的な例だといえるだろう。

 第35巻、Mary Newton StanardColonial Virginia: Its People and Customs1917)は、ヴァージニア歴史協会会長の妻という著者の立場を活かし、植民地時代のヴァージニアの社会風俗を当時の老若男女の日記、手紙、遺書などから再現、イラストや写真を惜しげもなく使用して完成した一書。このStanardという女性、The Dreamerという半分創作のエドガー・アラン・ポー伝の作者でもある点が興味深い(ポーもヴァージニア州都リッチモンドにゆかりの南部人)。「事実に縛られていてはポーの謎はとらえられない」と彼女は言うのだが、この書物は一転して当時の家の調度品や人々の服装などなどトリヴィアルな情報が満載である。しかし、この小さな事実のあくなき集積の意図の裏側には、今はなき古き良き時代に寄せる彼女の単純な憧憬などではなく、故郷の歴史の謎を解き明かし、南部の現実の混迷を打開したいという願望こそ見出されるべきではないか。

 いずれの巻の著者も南部の命運を決したあの戦争の敗北とほぼ同時に生まれた人で、彼らの人生はそのまま南部の戦後の歩みと軌を一にしていた。学問的な客観と敗れた祖国に寄せる思いの交錯、このあたりをぜひ読み取っていただきたい。