Athena Press

 

『アタランタ』復刻出版によせて

川端 有子 日本女子大学教授

 月の女神アルテミスを崇め、競争で自分を負かしたものでなければ結婚しないと誓ったアルカディア王イアシオスのむすめアタランタ。男まさりのこの女狩人の名を冠し、若い女性向けの月刊誌『アタランタ』は、作家L. T. ミードの編集のもと、1887年に創刊された。

 ミードといえば、現在、児童文学の研究者にはいささか紋切り型の少女小説を量産した女性作家としてのみ知られているが、そのレパートリーは多岐にわたり、ロマンス、ミステリーなど流行の小説をなんでもこなす、売れっ子の作家でもあった。同時に彼女が、みずからの後輩である少女たちに向けて、文学へのイニシエーションを強力におし薦めた編集者であったことも見落としてはならない。

 ライダー・ハガード、R. L. スティーブンスン、モールズワース、E. ネズビット、F. H. バーネットなど、有名な英米の作家の小説を載せた読み応えのあるページに添えられた豪華で繊細な挿絵。また、知的な領域で活躍する女性たちを紹介する記事や、高等教育機関の情報、卒業後のキャリアのための具体的な助言などが、その道を極めた女性自身によって書かれていることが特徴的である。高等教育を受ける機会のない少女のためには、有名な作家に依頼した英文学についての論文を掲載し、1年に5シリング払えば、テーマ・エッセイの添削を提供するという独学システムも試みられた。

 この文芸志向の強い意欲的な雑誌は、主として中・上流階級の若い女性をターゲットとしており、女性自身の文化とキャリアの向上・普及を支持したという点で、看過できない。もっとも、神話のアタランタは、自分を競争で負かした男としか結婚しないと誓い、独身時代を謳歌したものの、黄金のリンゴに惹かれてヒッポネメスに負け、彼と結婚してのち、アフロディテの怒りに触れ、雌獅子に変えられてしまう。ミードが当初からこのアタランタの運命を射程に入れて雑誌に名前をつけたのではなかろうが、はからずも雑誌『アタランタ』の意欲的な試みはだんだんに薄れてゆき、6年目からミードの手を離れると、すっかり保守的な家庭雑誌となり、1898年に終わった。ミードの試みはいささか時代を先取りしすぎていたのかもしれない。

 だが、 彼女が編集者として携わった6年分のページには、世紀末の女性文化を語るにあたっては非常に重要な情報が詰まっている。今回の復刻版では、その部分、つまり創刊号(Oct. 1887)からSept. 1893までの6巻(12冊)を刊行する。女性文化史・児童文学・女性教育などの研究者には重要な文献資料となるにちがいない。

 

 

 

 

 

 

「男性のようにではなく、勇敢な女性のように」生きることを説く雑誌『アタランタ』

木原 貴子 元名古屋女子大学准教授

 L. T. ミードにより1887年に創刊された少女雑誌『アタランタ』は、『エブリ・ガールズ・マガジン』(1878年)、『ガールズ・オウン・ペーパー』(1880年)、『ガールズ・ベスト・フレンド』(1898年)などと共に、ヴィクトリア朝後期における一大少女雑誌ブームの一翼を担う存在であった。この雑誌名は、前身である『エブリ・ガールズ・アニュアル』をミードが、ギリシャ神話に登場する美しい女性狩人アタランタ足が早く、競争をして、自分に負けた求婚者を殺したと言われる女性になぞらえて命名したものである。他の雑誌と比較すると知名度は決して高いとは言えないが、他の雑誌にない顕著な特徴をこの雑誌名の中に見出すことができる。それは、当時の若い女性に力強い自立した生き方を教え込もうとする、強力な啓蒙的姿勢である。

 ヴィクトリア朝後期という時代、中流階級の若い女性たちが置かれていた社会状況は厳しいものであった。この雑誌の中にその厳しさを垣間みることができる。女性たちは、結婚や仕事という当時極めて重要な問題において、自分の母親たちとは全く異なる状況にあった。女性記者フォーセットが代弁しているように、「労働者階級ではない、きちんと教育を受けた若い女性が、教えることに向いていないとすれば、どうやって生計を立てることができるだろうか」という問いかけは、彼女たちがまさしく直面していた問題である。すなわち、経済的自立の必要性と職業選択に迫られていたのである。

 このような状況の中で、『アタランタ』は極めて具体的な職業教育を行なっている。第2号から早速連載された「若い女性のための仕事」は、女性が新たな自立の道を切り開いていくために、これまであまり注目されていなかった職業や敬遠されていた職業を紹介し、さらに、問い合わせ先を明記するなど、具体的で細やかなアドバイスをも行っている。そして、女性記者グレーブスは言う。「もし自分にぴったりで、やり遂げられる仕事を見つけたら、幸せで、満足のいくおひとり様生活!」と。さらに、「男性のようにではなく、勇敢な女性のように」(“not like a man, but a brave woman”)という言葉は、誇り高い女性狩人アタランタのように生きよという、女性たちへの力強いメッセージであり、社会への挑戦的な宣言でもあるのだ。

 この雑誌は、厳しい状況にあった当時の女性を、そして同じく厳しい立場にある現代の私たちを鼓舞してくれる。その意味で、雑誌『アタランタ』は、ヴィクトリア朝という時代の特徴を示してくれるとともに、時代を超えた「女性による女性のための」雑誌として、貴重な研究資料と言えるのである。