子どもの頃、百科事典や図鑑を夢中で読んだ経験をもつ人は少なくないだろう。20世紀のはじめ、イギリスの子どもたちの知識欲を満たしたのが『カッセル少年少女百科事典』(Cassell’s Children’s Book of Knowledge, 1922–1924)である。カッセル社からこの事典が出版された頃のイギリスは、第一次世界大戦後の不況や心の痛手に苦しみ、人々が内向きになっていった時期だといわれる。一方で、教育面では長年の課題となっていた公教育の問題が、教育法の改正で動き出し、労働者階級を含む若者全体への中等教育制度が整えられようとしていた。児童文学では『クマのプーさん』『ピーター・パン』『ツバメ号とアマゾン号』など、大人の郷愁が見えるものの、子ども期の大切さをとらえた作品が書かれるなど、ヴィクトリア朝とは異なる新しい流れが始まった時期でもあった。
こうした時代にあって、広く世界に目を向け、科学や動物など子どもが興味をもつ事柄について、自ら楽しみながら学べることをうたったのが『カッセル少年少女百科事典』である。しかも、この事典はあらゆる若い読者を意識して出版されたもので、カッセル社の創始者で労働者階級の教育改善を訴えた社会改革者でもあったジョン・カッセル(1817–1865)の意思を継ぐものであった。
今回、復刻された『カッセル少年少女百科事典』は、1週おきに53回にわたって分冊販売されたものをまとめて製本したもので、本体6巻と索引1巻からなっている。取り上げられている項目は、国内外の社会、科学、動植物、文学、芸術、教育、スポーツなど多岐にわたり、若い読者に向けたものではあるが、現代の一般向けの百科事典と比べても遜色がない。しかし、説明の導入部は若い読者を意識して、「きみたちはどう考えるだろう」などと子どもに語りかける形をとりながら本論に誘うなどの工夫がみられる。また、説明を補完する10,000点余りの写真や挿絵が入っており、図鑑的な性格と見て楽しむ効果も狙っていたと思われる。
当時のイギリスはある意味で内向き志向であったかもしれないが、この事典では洋の東西を問わず様々な国が紹介され、科学や技術革新による産業や社会の変化や進歩の様子が紹介され、若者に世界の動向を知らせる前向きな姿勢が感じられるのが大きな特徴だ。一方で、「犬」や「帽子」の説明の充実ぶりからは、イギリス人の嗜好が垣間見えて面白い。もう一つの特徴は、項目がアルファベット順に並んでいることである。実は、この事典より少し前に出版されたアーサー・ミー編集による『イギリス児童大百科』(1908–1910)は、「地球と宇宙」「動物」「歴史」「文学」など、あらかじめ設定された19の項目からなり、読者の興味に応じて項目ごとに読むことが前提になっていた。しかし、『カッセル少年少女百科事典』は調べたい項目に効率よくたどりつけるアルファベット順の利便性と、目指す項目を見つけて読み物として楽しむこともできる、という一挙両得的な長所を兼ね備えていた。これは、子どもだけでなく、大人の利用者にとっても使いやすい事典を目指していたからだろう。
現代に蘇った『カッセル少年少女百科事典』は、私たちに多くのことを教えてくれる。たとえば、当時のイギリスの家庭内で事典はどのような役割を果たしていたのか、当時の大人は子どもの知的興味にどう答えていたのか、また子どもにどのような知識を持たせたいと考えていたのかなど、エドワード朝から戦間期の子どもや若者が生きた時代の社会、文化、教育、文学などを知るうえで貴重な資料である。