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キトンの『ペンとペンシル』を推す

佐々木 徹 京都大学教授、ディケンズ・フェロウシップ日本支部支部長

 

 フレデリック・ジョージ・キトン(1856-1904)は煙草屋の息子としてノリッジに生まれ、製図工の徒弟奉公をした後、画才を買われて「グラフィック」や「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」など有名な雑誌の挿絵を担当するようになる。幼い頃からディケンズの作品に強く惹かれた彼は、ハブロ・ブラウンやジョン・リーチといったディケンズに縁の深い挿絵画家についての書物を著した後、書誌『ディケンジアナ』(1886)に始まり、『ペンとペンシルによるチャールズ・ディケンズ』(1889-90)、『ディケンズとその挿絵画家たち』(1898)など、ディケンズに関する多くの著書を出版した。

 キトンはディケンズ愛好家の国際団体ディケンズ・フェロウシップの創設(1902)に関わった重要なメンバーの一人で、初代の副会長を務めた。極めて精力的な活動家で、ポーツマスにあるディケンズの生家が売りに出た時(1903)、ポーツマス市当局に掛け合ってこれを市が購入し公共財産とするよう説得したし、また同年には、ディケンズが新婚時代の住居とし、そこで『ピックウィック・ペイパーズ』や『オリヴァー・トゥイスト』などを執筆した、ロンドンのダウティー・ストリート48番地に記念の銘板が付設されるよう運動した。今日その銘板のついた家はチャールズ・ディケンズ博物館として、多くの観光客や研究者の訪れる聖地(?)となっている。キトンが所蔵していたディケンズ関係の貴重なコレクションもここに収められている。五十ならずしてこの世を去ったキトンを悼む文章の中で、熱心なディケンジアンであったアーサー・ウォー(小説家イヴリン・ウォーの父親)は、キトンを失ったことでわれわれはディケンズ研究における最高権威を失ったと言い、彼ほどディケンズのことを「知りつくしていた人はいない」と記している。長生きしていれば、キトンは当然フェロウシップの会長になっていたであろう。

  『ペンとペンシルによるチャールズ・ディケンズ』はそのキトンの多くの著作の中でも、もっとも価値あるものである。キトンの筆になる伝記的記述はもとより、100を超えるイラストは非常に貴重な資料である。また、本書にはディケンズを知っていた人々による回想がたくさん収録されており、それらの多くはここでしか読めない。

  『ペンとペンシル』は中身だけではなく、古書としての価値もきわめて高い。中古市場にもめったに出てこない稀覯本で(ちなみに、日本国内の大学図書館でこの本を所蔵しているところはない)、たまに出てきてもすごい値がついている。今ためしにネットの大手サイトAddALLを見てみると、分冊で出た初版が6500ドルで1点出品されているのみである。実を言うと、僕も前から本書を欲しいと思いながら、手が出ないまま今日に至っている。そういう次第で、このたびのリプリントはまことに有難い。嬉しい企画を大いに歓迎するとともに、この良書を多くの人に薦めたい。