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初期ディケンジアン入魂のヴィジュアル資料

原 英一 東京女子大学教授

 

 多くの文学研究者と同じように、私も本が好きである。この場合、もちろん、それは内容もさることながら、本そのもの、つまりモノあるいはアイテムとしての本のことを意味している。だからといって、本のコレクター、ビブリオマニアになるのは難しい。何しろ、ほしいと思う本ほど高価なのだから。はるか昔、ディケンズにのめり込み始めた頃、古書店のカタログにナンサッチ版ディケンズ全集が載っていた。価格はちょうど100万円。とうてい買えるはずもなく、ただ眺めるだけだった。ところが、それから4年ほど経って、別な古書カタログを見たら、同じ全集が160万円という価格になっているではないか。「しまった、あのとき借金してでも買っておけばよかった」とくやしい思いをした。同じ頃、どこかの書店の古書展示会で、Dombey and Sonの月刊分冊完全揃いというのを見たこともあったが、これも価格はたしか50万円を越えていた。

  本当のビブリオマニアなら相当無理をしてでもこれらを買っていたことだろうが、結局買わなかったのは、本というアイテムに対する愛着というか執着がさほどのものではなかった証拠だ。ところが、その私にとっての唯一の例外が、F. G. Kitton, Charles Dickens by Pen and Pencilである。実物を見たことはなかったのだが、いろいろなところで言及され、賞賛されているので、その存在は昔から知っていた。六、七年前のこと、たまたまネットでイギリスの古書店のカタログをブラウズしていたら、これに出逢ったのである。しかも、ディケンズの月刊分冊のオリジナルなどに比べれば、決して手の届かない価格ではない。思いきって買うことにした。

 手元に届いた二巻からなる大型本を開いて、ページを繰っていくうちに、だんだんと手が震えてきた。この本のすばらしさがじわじわと全身にしみわたってきたからである。そこには、これまで様々な伝記や研究書でおなじみだったディケンズやその関係者の肖像画、写真さらにはポスターやカリカチュアまでが、無数に掲載されている。とくにディケンズの肖像画や写真は大量にあり、その多くは見事に彫版されていて、印刷状態がきわめてよい。ディケンズに関するさまざまなエピソードを連ねたテクストと大小さまざま、変化に富んだ図版からなるこの本は、ディケンズ・ファンにとっては、まさに至宝というべきものであることを実感した。

  キトンはThe Graphicなどで活躍した彫版師であり、多くの作品を残している。同時に彼はディケンズの大ファンであった。国際的なディケンズ・ファン・クラブともいうべきディケンズ・フェロウシップは、日本支部もあるが、1902年にキトンらによって設立されたものである。Charles Dickens by Pen and Pencilが尋常ならざる丁寧さと凝り方で作り上げられ、ディケンズに関するこの上なく貴重なヴィジュアル資料となったのは、最初のディケンジアンの一人としての熱情と愛情のなせる業であった。

  この本は、もともとは1889年から90年にかけて、本体13分冊と補遺5分冊で刊行されたものである。私が所有するものは天金・革装で、二巻本にまとめられている。十分に満足できる製本なのだが、一つだけ残念なのは、オリジナルの分冊カバーが一部しか綴じ込まれていないことだ。この種の出版物は、ディケンズの小説の月刊分冊と同じく、所有者が好みの形で製本することを前提としているため、分冊カバーはごく質素なものである。しかし、オリジナルのカバーは、ファンにとっては欠かせないアイテムであるのはもちろんのこと、資料として価値があることは疑いない。この度のアティーナ・プレスの復刻版では、分冊のカバーもすべて含まれているとのことであり、ディケンズ研究で基本的かつ重要な資料となることだろう。