Athena Press

 

「イギリス的」なアート――笑いとカリカチュア

新井 潤美 中央大学教授

 

 2011年の6月から9月にかけて、ロンドンのテイト・ブリテン(昔のテイト・ギャラリー)で「ルード・ブリタニア(Rude Britannia)—イギリスのコミック・アート」と題された特別展覧会が開催された。 会場には17世紀の匿名の風刺画から、現代のアーティストによる写真や映像、オブジェまで、様々な時代、そしてジャンルにわたる「滑稽な」美術作品が展示された。風刺画やカリカチュア、漫画やユーモラスな絵やスケッチはどこの文化でも見られるものであるのは言うまでもない。 しかし独特のユーモアのセンスを誇り(イギリスにおいてユーモアのセンスが実際に特に発達しているかどうかは別として、常に「イギリス的なもの」としてユーモアが意識されているのは明らかである)、しかもそのユーモアの重要な部分として、「己の姿を笑う能力」を挙げるイギリスの文化において、カリカチュアや風刺画が「イギリス的なもの」として受け入れられ、発展していくのも不思議はない。 「ルード・ブリタニア」のカタログに掲載された、学芸員のマーティン・マイロンのエッセーによると、イギリスではルネッサンスのイタリアに匹敵するような美術家も作品も誕生しなかったもかもしれないが、その代わりに、ウィリアム・ホガースやトマス・ローランドソンのような優秀なコミック・アーティストを生み出すことができたという、「イギリスらしさ」についての自負が今でも(事実はどうであれ)通説として残っている。 ロンドンには大英博物館の近くに「風刺漫画美術館Cartoon Museum」も存在し、常設展示の他に、ヒース・ロビンソン、H. M. ベイトマン、ポント、ロナルド・サールなど、イギリスで愛されてきた20世紀の諷刺漫画家たちの作品の展示会が随時行われている。 また、例えばデイリー・テレグラフ紙の長寿コラム「ソーシャル・ステレオタイプ」(ヴィクトリア・マサー文、スー・マカートニー=スネイプ絵)は、「退役陸軍大佐」、「ウィンブルドンのファン」、「オペラ愛好者」、「化粧品のセールズガール」等、様々な階層、職種、年代のイギリス人のカリカチュアを描いたもので、一連の単行本としても刊行されており大きな人気を博している。 イギリスにおいて風刺画やカリカチュアの人気は衰えることがない。

  イギリスにおける風刺画、カリカチュアの原点は上に挙げた、18世紀のホガース、ローランドソン、そしてジェイムズ・ギルレイと言ったアーティストたちの、辛辣で毒があり、ときにはかなりグロテスクな作品であることは言うまでもないが、19世紀において、『パンチ』、『ファン』などの滑稽誌や、挿絵つきの娯楽雑誌が次々と創刊されると共に、棘や毒が少々弱まっても、より一般的に受け入れられ、家庭でも安心して鑑賞することができるような諷刺漫画や滑稽画を描くアーティストたちが活躍し、イギリスにおけるコミック・アート(必ずしもコミックでないものもあるが)の全盛期となる。

  今回復刻される4冊の本は、こうした19世紀のイギリスの風刺画家や挿絵画家の人物像や作品を、ほぼ同時代の観点から取り上げて論じた、たいへん興味深いものである。Graham EverittのEnglish Caricaturists and Graphic Humourists of the Nineteenth Century (1886)はジョンソン博士による「カリカチュア」の定義から始まって、イギリスのカリカチュアが18世紀から19世紀にかけていかに変化していったかを、人々のユーモア感がより洗練されていったという、文化的な要素や、小口木版画がエッチングにとって代わったといった技術的な面にも触れながらたどっていく。当時どのような事件や人物、そしてスキャンダルが風刺画の材料となったかについて、政治や経済だけでなく、文学や演劇、ファッション等、当時の社会のあらゆる面に言及した詳細な解説がなされている。Frederick G. KittonのDickens and His Illustrators (1899)はその題名のとおり、チャールズ・ディケンズの作品の挿絵画家に焦点を絞ったものであるが、ユーモアたっぷりの文体で、それぞれの画家の個性や特徴、あるいは奇癖を鮮やかに描いていて、たいへん面白い読み物となっている。アメリカ人Arthur Bartlett MauriceとFrederic Taber CooperによるThe History of the Nineteenth Century in Caricature (1904)はニューヨークで出版された本だが、ホガースやギルレイから始まり、イギリス、アメリカだけでなく、フランスやドイツなどの風刺画にも触れているので、一つの事件についての様々な風刺画家の視点や特徴を比較することができる。J. M. HammertonのHumorists of the Pencil (1905)は、23人のイギリスの諷刺・挿絵画家の評伝であるが、表紙に「彼ら自身による挿絵入り」と副題があるとおり、各章の冒頭には、そこに取り上げた画家自身による自画像のスケッチが添えられている。また、当時は決して数が多くなかった女性挿絵画家の一人、Hilda Cowhamが取り上げられているのも興味深い。

  このように様々な観点からイギリスのカリカチュア、そしてコミック・アートをとりあげた今回の復刻本は、19世紀イギリス(そしてアメリカ、フランス)の貴重な資料としてだけでなく、それぞれの筆者の道徳観、政治観なども反映した読み物としても大いに楽しむことができるものとなっている。