世界中で愛されているアソシエイション・フットボール、私たち日本人にはassociationの口語的短縮形であるサッカー(soccer)の名で知られるスポーツに対するイングランド人の思いは熱い。「労働者階級のスポーツ」と陰口を叩かれながらも、各地のクラブでは多くの大人や少年たちがプレーし、シーズン中は競技場で老若男女が贔屓のチームのグッズを身につけてガラガラを鳴らしながら囃し立て、フーリガンと化して暴れ回りさえする。賭博に国民こぞって合法的に興じ、国庫は潤う。サッカーは彼らの血であり肉であり、それなしにはパブでの酒も始まらない。
なぜこうした状況が生じたのだろうか。これは一考に値する疑問であり、スポーツとしてのサッカーそのものの魅力もさることながら、その歴史を紐解く必要が出てくる。そこから分かってくるのは、サッカーに対する情熱はずっと昔から民衆の間に根づいていたということだ。ただ単にフットボールと呼ばれていた頃、人々は町や村の端から端までを競技場にして、革や豚の膀胱に空気を入れて膨らませたボールをゴールに入れるという以外にほとんど何のルールもない状態で、足はもちろん手も使ってプレーしていたのだった。はては骨折者続出で、死者まで出る始末。特に四旬節の禁欲生活直前の告解火曜日のどんちゃん騒ぎは、暴動にまで発展する。当局は治安維持のために何度も禁止令を出すが、それも功を奏さない。
これが現在のサッカーとラグビーの起源であるが、19世紀半ばには、それまで各地でてんでバラバラな形態やルールで行われていたものに、パブリック・スクールが中心になって統一と規則化を図ろうとする動きが見られるようになる。その象徴的な出来事が1863年のイングランドにおけるサッカー協会(The Football Association)の創設である。これを機にフットボールは娯楽からスポーツへと新たなスタートを切ることになる。もちろん最初は参加数も少なく、南部の、それも上・中流階級のクラブであった。したがって、Tom Brown’s School Days (1857) に見られる「筋肉的キリスト教」のような考え方が色濃く反映されていた。その影響は帝国主義のもと、愛国精神やリスペクタビリティとなって、後のプロ選手にも求められることになる。ルールもそう簡単に統一できるわけではなく、ラグビー派はFAを去る。サッカー派に純化されたFAは、1871年にFA カップを開催したのだが、当初は北部のクラブはロンドンまでの遠征費用が賄えず、出場を断念せざるを得ないこともしばしばだった。しかし、土曜の午後が休日になるにつれて産業労働者の間で余暇の利用としてのサッカー熱が高まり、1883年を境に、北部の労働者クラブが南部のエリート・クラブを打ち負かす逆転現象が起こるようになり、サッカーの大衆化が定着する。1874年には初めて入場料が取られるようになり、そのために一層高度な技術が要求されるようになると、プロ選手が登場する。1885年にFAはプロ選手を認め、その結果アマとプロの決裂を回避することができ、1882年に国内でのルールの統一が実現したことと相俟って、サッカーが世界的に広がる礎が築かれたのである。それは、1904年に国際サッカー連盟(FIFA)が設立され、1930年には第1回のワールド・カップ(W杯)が開催されたことからも明らかである。1888年には北部と中部のクラブが中心となって、財政面で援助するためにサッカー・リーグ(The Football League)が形成される。リーグ戦形式の大会を催すことで、対戦相手の実力が拮抗し、より一層の観客を動員することができるようになったのである。ここに近代サッカーがイングランドにおいて誕生したのだ。
今回復刻される2種類の書物は、まさにこのサッカー草創期の動きを詳細に追った名著である。4巻からなるAssociation Football and the Men Who Made It (1905-6) は、この種の書物の中では最も有名なものであり、歴史と発展、ルールと戦術、有名な選手やクラブ、さらには重要な経営者など多岐にわたるテーマを扱っている。そして、The Book of Football (1906) は、増加しつつあった通勤サラリーマンを対象とした大判2段組みで、興味深い写真をふんだんに用いたものである。特にクラブの歴史に強みがあり、また、イングランドのみならず、スコットランド、ウェールズ、アイルランドにおけるサッカーとラグビーの歴史も扱っている。執筆陣には、FA初代事務局長Charles Alcockやサッカー・リーグの創設者William McGregorなど、近代スポーツとしての発展・組織化に貢献した錚々たるメンバーが名を連ねている。
今年はイングランドにFAが創設されて150年の記念すべき年であり、サッカー・リーグが設立されてからも125年の年にあたる。1966年のW杯以来優勝から遠ざかっているFAは、サッカーの母国の名にかけてもと、中部のバートン・アポン・トレントにトレーニング施設「セント・ジョージズ・パーク」を昨年10月に完成させた。ようやく復権への一歩を踏み出したばかりだが、これほどの熱の入れ様の背後に、私たちは1世紀半にわたって育まれてきたサッカーとイングランド人の社会的・文化的生活との強い絆を窺い知ることができるのである。19世紀後半から20世紀初頭のサッカーを多面的に扱った今回の復刻版は、原点に私たちを立ち帰らせ、その時代における階級間や北と南・ロンドンと地方といった地域間の対立と妥協をスポーツの観点から浮き彫りにしてくれるのみならず、イングランド人の国民性の根幹を理解する重要な手がかりを与えてくれるのである。