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食はなぜ語られなければならないのか
――イギリス生活文化の基層に迫る珠玉の選集――

原田 範行 慶應義塾大学教授

 イギリス食文化をテーマとする、アティーナ・ライブラリー・オヴ・イングリッシュ・スタディーズ待望の第13シリーズ(全5巻)および第14シリーズ(全5巻)が刊行された。 この第13シリーズは、古代・中世から20世紀初頭に至るイギリスの食文化の変遷と特色を網羅的にまとめた8点の名著を正確に復刻したものである。 私はこのシリーズを強く推薦したい。その理由は次の通りである。

 言うまでもなく食は人間の営為の原点であって、それは古今東西、さまざまな場面においてさまざまな形で語られてきた。 その豊饒な広がりは、たんに料理のレシピや食卓での作法、食材の選定などの具体的な方法論にとどまるものではもちろんなく、今日の学問分類で言えば、 医学、農学、生物学から社会学、経済学、民俗学、美学、哲学、文学、あるいは異文化間交流といった実に多くの分野にまたがるものである。 本シリーズに収められたCharles CooperのThe English Table in History and Literature (1929) のタイトルページには、 「自然の美しさを愛する真の哲学者であれば、飲食を愛するはずである」というイギリス19世紀を代表する文人ウィリアム・サッカレーの名言が引用されているが、 「飲食を愛する」真の「哲学者」とは、おそらく、人間らしい生活を送るよき人間と置き換えてもよいであろう。 また、やはり本シリーズに収められたGeorge Dodd の The Food of London (1856) には、「(ロンドンという)大都市に食料をどう提供するかという問題は、 社会現象を考える上でとりわけ注目すべきことである」という一節があって、食材の獲得から食卓での食事に至る食のプロセスが、 社会の諸活動を包摂すると言ってもよいような広がりを持っていることに読者は改めて気づかされる。Doddの著書が19世紀半ばのロンドンで刊行されたものであることを考えれば、 この社会の諸活動とは、言うまでもなく大英帝国最盛期のそれであって、そこには、機械化や大量生産に伴う文化の変容や植民地に関わる深刻な問題が横たわってもいるのである。 本シリーズが優れているのは、人間の営為にかかわるこうしたきわめて多様な項目を通観しつつ凝視することのできる8点の名著を選び取った、その慧眼にある。 食に関心を抱き、食というテーマが、多くの学問分野と密接にかかわるものであるということは、賢明な読者であれば、ある程度の察しはつく。 だが、食材の何が、あるいは調理の過程のどこが、どのように人間の文化の変容に大きな役割を果たして来たのか、そのさまざまな具体的項目を、 人間の歴史の中で実証的に検討しようとすれば、その読者や学生は、膨大でまとめようのない資料を前に戸惑うばかりであろう。 本シリーズに収められた原典は、いずれもそれを手際よく、しかし決して細部を無視したり端折ったりすることなく、実に丁寧に扱っている。 それゆえ本シリーズは、イギリス食文化の、いや、イギリスばかりではなくスコットランドもヨーロッパも、そして広く言えば人類の、そして食文化だけではなく食を媒体とする あらゆる人間の生活文化の基層に迫り得る珠玉の選集となっているのである。

 本シリーズに収められたこの8点の著書は、いずれも19世紀後半から20世紀初頭に刊行されたものである。なぜこの時期なのか、という点についても付言しておこう。 それは、この時期を境に、食料生産においても、流通においても、食卓をめぐる家族のあり方や生活様式などにおいても、人間社会がかつてないような大きな変化を経験し、 それゆえ、21世紀に生きる私たちにとっては、食文化が人間の歴史の基層において果たしてきた重要な役割への理解が難しくなっている、ということによる。 19世紀後半から20世紀初頭にかけてのいささか古めかしい文献に注目するのは、決して時代錯誤ではない。近代社会構築に際して、人間の文化の基層がどのように変容し、 何を得て、何を失ったのか、そうした問題を根本的に考察しようとするとき、私たちは、現代社会の枠組みからいったん距離を置き、少なくともこの時期までさかのぼって、 当時の人間の声を聞く必要がある。例えば、現在注目されつつある環境やエコロジーの問題への理解もまた、本シリーズに収められた名著が発する各種の情報とそれらが醸成する香気によって確実に進むはずだ。