一体いつのことだろうか。タバコの害が声高く叫ばれ、喫煙者が罪人のように見なされるようになったのは。公共の場所での禁煙が当たり前となり、「受動喫煙」なる言葉が生まれて、家の中での喫煙まで非難され、庭やベランダでこそこそと煙を吐くようになったのは。確か30年、いや20年ほど前にはこれほど喫煙者が嫌われることはなかったような気がする。それが証拠に、20世紀後半に制作されたテレビ番組では随分多くの人がうまそうにタバコを吸っていた。イギリスのパブではみんなが煙をくゆらせ、外で歩きタバコをする人が普通に見られた。ただし、徐々にタバコの値段が高くなり、イギリスではひと箱1000円を超えるのが当たり前になったから、タバコをせびられることが増えたし、ぎりぎりまで吸わずに捨てようとすると、もったいないと非難されることもあった。それどころか、捨てられたタバコを拾い、ドロップの缶にせっせとため込む人もいた。
タバコ好きの筆者から見ると、実にかっこよく吸う人はあこがれの的だったし、葉巻やパイプをくゆらせる紳士は、見ているだけでも文化、教養の香りがした(実はそんなものとは無縁の人間も多くいた)ものだ。あるいは18世紀にはやったとされる嗅ぎタバコ、この流行に合わせて生み出された「嗅ぎタバコ入れ」(snuff-box)のお洒落なこと、これぞまさしく文化の香りを伝えるものではなかったか。江戸時代の風俗画に出てくるタバコ入れにも勝る出来栄えである。ただし、あの大リーグでよく見かけた「噛みタバコ」は願い下げである。だって品のないことおびただしいと思うからだ。
さて、そこで現在は逆風にさらされて喫煙もままならぬタバコの歴史である。ヨーロッパ大陸にこれがもたらされたのは500年ほど前、大航海時代のことだが、それ以来、タバコには豊かな歴史があり、これを好んだ人の数も凄まじい。そしてタバコを手にしてすぐれた作品を世に送った文学者、芸術家、あるいはタバコをくゆらせながら戦略を練った将軍、政治家の数もおびただしい。もちろんタバコを取り上げた歌や詩も多くある。酒と並んで、タバコは創造力の源泉であったし、酒と違って理性を刺激するから、立派な論文も書ける(はず?)。いや、文章にも味わいが含まれることになるだろう。
というわけで、今回復刻されたのは5つの貴重な文献はありがたいことこの上ない。19世紀半ばから20世紀初頭に出版されたものだから、タバコにとって良き時代の産物である。タバコの歴史、タバコ栽培の事情、喫煙の歴史などを、興味深いエピソードをたっぷり交えて語っているから、現今のような時代に生きるタバコ好きには目を離すことのできない文献ばかりである。身体に与える影響にも筆が及んだ文献があるから、タバコの害を声高に言い立てる人にも興味が持てるかもしれない。ただしあらかじめ断っておくと、タバコのもたらす優れた効果に焦点が当てられているから、くれぐれも「禁煙の勧め」に役立つなどと思わないこと。酒のように禁酒同盟が力を発揮して、禁煙同盟などという組織が生まれることは願い下げである。どうかそのようなことはご勘弁いただきたい。
その意味で、今回の復刻に収められたA History of Smoking(1931)はCount Cortiなる人物(オーストリア=ハンガリー帝国の貴族で、やがて歴史作品を数多く書いた人物)が書いたものをPaul Englandという男が訳したもので、喫煙の歴史をたどって大いに読ませるものである。実は筆者もこの本を手に入れて愛蔵してきただけに、これが復刻されるのは喜ばしい限りである。よくまとまった歴史書だし、図版もたっぷり、何よりも参考文献が詳しく明示されているし、索引がついているのも大いに便利である。しかもタバコの歴史を詳細に跡づけているし、年表までついているのは嬉しい限り。至れり尽くせりの書物である。すでに記したように出版は1931年(実は初版は1930年にドイツで出版された)だから、禁酒法がアメリカで猛威を振るっていた時代である。「禁煙法」などというものがイギリスで生まれなくてよかった。
いや、それ以上にこの本がうれしいのは、「献辞」にこう書いてあることである。「わが愛する妻へ」。いやあ、隔世の感があるね。さぞかし夫婦仲がよかったのだろう。あるいは、日ごろ、文字通り煙たがられていた夫がここでおべっかを使ったのか、それとも皮肉で反撃したのか(そんな恐ろしいことはあるまい)。だがいずれにしても、いまはこんな本を書いて妻に捧げるのは至難の業、危険極まりないことではないか。