「個人の家では、いい居酒屋のようには楽しめない(略)人間が考え出したものの中で、いい居酒屋や旅籠ほど幸福を生み出せるものはあるまい」――18世紀の文豪サミュエル・ジョンソンのこの言葉は、
イギリスの居酒屋(tavern)や旅籠(inn)、あるいは、パブ(pub, public house)やコーヒーハウス(coffeehouse)が有する重要な文化的・社会的機能とその日常性を見事に表現している。
新型コロナウィルス感染拡大を受けて、イギリスでも日本でも、こうした公共の場が閉ざされた現在(2020年4月)、それはいっそう深く重く、私たちの心に響く。
Athena Library of English StudiesのPart 19が、今、こうした公共圏の重要な機能に焦点を当てて刊行されることの意義は大きい。
タヴァンやイン、パブ、コーヒーハウスについては、今日でも案内書は少なくない。ただ、それらには少なくとも二つの問題がある。
一つは、こうした施設の有する日常性、現実性のゆえに、記述がしばしば著者個人の経験や印象に委ねられ、体系的に整理して理解しようとすると困難が生じやすいということ、
もう一つは、伝統的なタヴァンやインが20世紀半ば以降の急速な社会変化の中でいささか形を変えてきており、それらが果たしてきた(そしてこれからも果たしうる)機能を本格的に考察しようとする場合、
現状をいったん離れて歴史的に検討することが必要である、ということである。
今回、Athena Libraryが、19世紀後半から20世紀前半にかけての貴重な、しかしいずれも入手困難な文献を復刻する意味はここにある。
各文献に付された索引や文献書誌だけでも、価値ある歴史資料となろう。
人々が集い、飲食という日常的な行為をともにしながら、さまざまなコミュニケーションがおこなわれ、ある種の合意形成が進み、なによりも各人が安心感を抱き、また好奇心を養う、そのような場――タヴァンやインの
文化を考えるには、さまざまな視点があろう。例えば、本シリーズ第77巻所収のLondon Inns and Tavernsの冒頭で、著者は、こうした文化が「歴史研究および社会学」への関心を惹起すると述べている。
もちろん文学作品にもタヴァンやインはたびたび登場し、その重要な舞台となってきた。14世紀末に成立したジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』において、巡礼の旅人が出発するのは、
ロンドンのテムズ川南岸の「陣羽織亭」(The Tabard Inn)であった。本シリーズ第76巻に収録されたInns and Taverns of Old Londonにはその詳説がある。
現在も営業を続けているロンドンの「チェシャー・チーズ」(Ye Olde Cheshire Cheese)は、18世紀のジョンソンはもちろん、19世紀にはチャールズ・ディケンズやアメリカのマーク・トウェインが通ったことで知られるが、
これについては第75巻所収のOld London Tavernsが役に立つ。Cheeseの俗用語義の変遷にまで触れられているから、英語史の学習にもなろう。
19世紀後半の女性作家ジョージ・エリオットの名作『サイラス・マーナー』では、主人公の暮らす架空の村に「虹屋」(The Rainbow Inn)というインがあり、ここでの村人のつながりが、
偏屈な主人公の心を開いていくことになるのだが、この「虹屋」は、「牡牛屋」(The Bull Inn)という実在のインをモデルにしている。
女性と居酒屋については、第78巻所収のThe English Public House As It Isに詳しい説明がある。19世紀末から20世紀にかけて、都市化の進むロンドンは次第に周辺の郊外をも飲み込んで行ったが、
そういう郊外にあって転々と下宿を変えていたのが、当時留学中であった夏目漱石である。彼が「辺鄙な所」と呼んだそういう郊外でのパブの役割を説明してくれるのが、
第77巻所収のMore London Inns and Tavernsだ。
タヴァンやイン、パブの機能は、本シリーズに収録された文献の後も、今日に至るまで連綿と受け継がれてきた。医学や生命科学を考える上で今や日常用語とも言えるDNAの仕組みを、
ジェイムズ・ワトソンとフランシス・クリックが解明したのは1953年2月28日のこと。彼らは、ケンブリッジ大学のそばで1667年から営業を続けている「イーグル」というパブでランチを食べながら、
この偉大な発見に到達したのであった。優れた発想の源泉が、あるいはアイデアを実現するに至る豊かな議論の基盤が、タヴァンやイン、パブにはある。単なる飲み屋ではなく、また会議スペースでもない、
そのようなpublicな場の重要性を、今、このAthena Libraryを通じて検討すべきなのではあるまいか。