日々の生活や束縛から抜け出し、ちょっとした非日常を楽しみたい――誰しもそんな気持ちになることがある。リゾートはこうして生まれた。イギリスでは、鉱泉に恵まれたバースやターンブリッジ、美しい砂浜が続くブライトンなどである。いずれもロンドンからそう遠くはない。日常に近接しつつ、それを非日常化できる空間、これがリゾートの魅力だ。
日常を非日常化する場合、その方向は二つある。混沌とした無秩序から解放され秩序ある社会で自らの状況をよく整理したいという場合と、逆に、秩序から逸脱して混沌とした社会に身を隠したいという場合だ。リゾートのストーリーは、通常、この両極の振幅のうちに織りなされるようだ。例えばバース。「バースの王」の名を恣にした洒落者リチャード・ナッシュが初めてバースを訪れた1705年、そこは単に鉱泉のみで知られる汚辱の街であった。それを彼は、その才覚によって一代のうちに華麗な社交の場へと変貌させる。だがそれも束の間、ジェイン・オースティンは『説得』(1818)の中で、零落した貴族サー・ウォルターの住処として、精彩を失ったバースを選ぶのである。ブライトンもそうだ。18世紀後半、皇太子時代のジョージ4世が好んだこのリゾートは19世紀には大いに繁栄した。だが20世紀、グレアム・グリーンが『ブライトン・ロック』(1938)において活写したこの街は、ピンキーが闊歩するギャングの巣窟と化していたのである。
秩序と無秩序を往復するリゾートのこうしたストーリーはまた、様々な人生のオモテとウラを見事に語ってくれる。1728年、実母の冷たい仕打ちに業を煮やした詩人リチャード・サヴェッジは詩集『庶子』を刊行。実母マックルズフィールド伯爵夫人は、「非難を逃れて大急ぎでバースを去り、ロンドンの雑踏に身を隠した」という。文豪サミュエル・ジョンソンの記したこの出来事は、ナッシュの手腕で生まれつつあった秩序あるリゾートが、夫人の汚れた日常にはそぐわぬものであったことを示している。もっとも、非日常的雑踏にリゾートの楽しみを覚える女性もいた。1749年、「ターンブリッジのごたまぜが私は好きなの」と記したのは、社交界の大物モンタギュー夫人である。そして19世紀末。オスカー・ワイルドは喜劇『まじめが肝心』(1895)の中で、主人公ジャックの出生の秘密を、自らもたびたび訪れていたブライトンに埋め込んだ。かつてロンドンのヴィクトリア駅で間違えられ、ブライトン線に乗せられた赤ん坊こそ、ほかならぬジャックだったのである。
リゾートを説明するガイドブックは今日無数に存在する。だが、それらは現況を飾るばかりで、街と人のストーリーを語らない。アティーナ・プレスがあえて20世紀初頭の基本文献を収集した理由はここにある。現況ばかりを追いかけて街と人のヒストーリーを知らぬ文化事業や都市開発に限界があるならば、その限界を越える手立てを明示してくれるのがこのシリーズだ。既に大学図書館や研究機関でも閲覧困難なこうした基本文献こそ、今21世紀の私たちに最も必要とされるものではないかと思われる。