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イギリス女性史研究にとって必読文献の復刻

河村 貞枝 京都府立大学名誉教授

 近年の歴史学研究の最も顕著な特徴は、「女性の過去」に向けられた関心の増大である。女性史研究のこの活況は研究対象の地域・時代・分野を問わないが、とくにイギリスは際だって研究成果が多産である。数十年前に「女性史は成立するか」という批判的議論が展開されていたことを思い返すと、まさに隔世の感がある。

 また、歴史学一般について考えてみると、かつて歴史学の王道であった政治史がやや後退して、いわゆる「社会史」が前面に出てきた。そして過去の人間活動の場を公領域と私領域に二分するなら、「社会史」の勃興は、大きく家族史の中に包摂しうる私的領域での女性の営為をより重視するようになった。従来、戦争・外交・政治・商業といった、ほとんど男性のことがらであった過去の公的活動に研究が集中していた歴史学のフロンティアが拡大されてきたのである。そのような歴史学それ自体の再考の動きの中で、「女性史」は単なる「補完」ではなく、ある種「方法」としての視角・役割を帯びたものと位置づけられうる。従来の男性歴史家の「等閑視」から、女性の生きざまを顕在化させていく、つまりヒズ(彼)のストーリではなく、ハー(彼女)のストーリを、しかしグレイトな著名な女性のカタログ化ではなく、「歴史から隠された」、「不可視の」また「周縁」におかれたままの普通の女性の歴史をも表舞台に載せる独自の意義をもったものなのである。

 今回アティーナ・プレスから復刻されるイギリス女性史に関する45冊の本は、ポジティヴな姿勢の女性史研究にとって必読文献である。5冊を通して言えることは、これらは「女性史」が歴史学のジャンルとして正当に認知される以前に、女性の手によって著された優れた女性史研究文献であり、かつ女性史の史学史の里程標となる一次史料でもある。

 1011巻のGeorgiana Hill, Women in English Life from Mediaeval to Modern Timesは、中世から19世紀後半までのイギリス国民生活における女性の地位に焦点をあてた重厚な大著である。社会史的局面が詳しく取り上げられる中で、貴族の女性や、「ブルーストッキング」や博愛主義活動家などの女性名士と相並んで、家事使用人や女工といった下層の女性の日常生活に多くの描写と考察が充てられている。著者Georgiana Hillは、作家であると同時にフェミニストの演説家でもあった。彼女はこの長大な女性通史を通して、19世紀末の男性史家のウィッグ的歴史解釈(人類の歩みを単線的な進歩の歴史とみなす)に異議を唱えているところが興味深い。

 12巻のRose M. Bradley, The English Housewife in the Seventeenth and Eighteenth Centuriesは、1718世紀、ピューリタン革命期からヴィクトリア朝成立までのイギリスの主婦と家庭生活に焦点をあてて簡潔に概観した好著である。詳細な註付けがない本書は、いわゆる「糊と鋏」の手法でまとめ上げられて、その点では研究と独創性の欠如と目されるかもしれないが、女性の高等教育への参入がきわめて限定的であった時代に、作者が駆使した「糊と鋏」は、歴史学の補助具として知的な分析と統合に匹敵するものであり、十分に敬意を払うに値するものである。女性を取り巻く家庭環境を史的にたどった類書は皆無であり、またその生き生きした文体にも魅了されよう。

 13巻のThe Learned Lady in England, 1650-1760の著者Myra Reynoldsは、シカゴ大学のイギリス文学の教授で、アメリカの有名女子カレッジ、ヴァッサー・カレッジの創立50周年を記念するにふさわしいテーマとして、女性の知力の発展をイギリスの17世紀から18世紀中葉にかけて「学識あるレディ」の人物像を中心にたどっている。単に、女性知識人のカタログ化にとどまらず、多様な女性著述家と彼女たちの教育状況、女性について書かれた当時の書物などについても触れられており、社会文化資料としても有用である。

 14巻のIda Beatrice O'Malley, Women in Subjection: A Study of the Lives of Englishwomen before 1832は、男女平等を熱心に擁護し、とくに女性参政権や女性高等教育運動と密接に係わりをもち続けた著者が、18世紀末より19世紀前半にかけて、「従属」という時代制約の中でも発揮された能力あるイギリス女性の生きざまと思考を見事に描出した研究書である。実に豊富な史料を駆使し、女性の法的地位、公的・私的生活における女性の地位を示し、さらにメアリ・ウルストンクラフトや博愛主義者のエリザベス・フライ、ハナ・モア、その他比較的マイナーな女性たちの短いが生き生きした伝記を示すことで、社会の両端で始まりつつあった女性の解放への早期の動きを例証した、女性史の古典である。

 これら5巻が、イギリス女性史研究の古典的名著の復刻版として、イギリス史、イギリス文学その他広く「イングリッシュ・スタディーズ」に関心をもつ多くの読者層に届くことを大いに歓迎したい。