今日、大ロンドン圏内にある公園は、大小合わせ二千にものぼる。さすがガーデニングの国と恐れ入ってしまうが、その歴史はもちろん単純ではない。
最初期の公園は、王家に属するものが多い。筆頭はなんといってもハイド・パーク。ロンドン中央に陣取るこの広大な公園は、今ではピーターパン像(1912設置)などで誰もが知る観光地となっている(ピーターパン像は、正確にはケンジントン・ガーデンズ内)。それはもともと十六世紀に、国王ヘンリー八世が、王家の狩猟所として獲得したものだった。1630年代、乗馬さらには散歩のために一般公開される。その後、内乱などで一時閉鎖されるものの、結局、王立の公園として今日に至った。
次に、セント・ジェームズ・パーク。バッキンガム宮殿前に通ずる公園だが、これもヘンリー八世が取得した。大きく変貌するのは、チャールズ二世の時代。彼はルイ十四世の甥で、内乱中フランスに亡命し、ヴェルサイユなどの庭園に感銘を受けていた。そこで王政復古後、フランス人造園家モレを起用。ここを整形式庭園に改造する。今もフランス風の「ガチョウの足」形に広がる整形的な構成のなごりを辿ることができる。
なお、イギリスはその後、風景式庭園という、整形式とは対立する自然風の庭園様式を生み出す。その結果、十八世紀には、ハイド・パーク内に、ジョージ二世の妻カロラインの要請で、自然風に蛇行する有名なサーペンタイン池が造られることにもなる。
さらに、ロンドンのやや北寄りに位置するリージェンツ・パーク。これもヘンリー八世が取得した土地だった。十九世紀初頭、後のジョージ四世が摂政のとき、建築家ナッシュを使い、周辺を含め総合的に設計させる。時代を反映し、風景式を基本としつつも、整形式を折衷している。今も名高い動物園・植物園、野外劇場・野外音楽堂があるのは、大衆の福利厚生を考えた新しい風潮を反映するものである。
このリージェンツ・パークが造られた十九世紀は、イギリス公園史の大きな画期だった。産業革命で膨れ上がった都市の問題を解消し、大衆に「良識ある娯楽」を与えるという新たな目的が前景化するのである。それはたとえば、国会の「公共遊歩道特別委員会」報告書(1833)に見て取れよう。実際、この報告書に影響され、貧しい労働者が住むイースト・エンドに、広大なヴィクトリア・パークが作られることにもなった(1845)。またこれに関連し、公園の担い手として、王家ではなく行政機関が重要になってゆく。
その際注目されたことの一つは、公園がスモッグを浄化する機能である。ロンドンのスモッグ問題は、イーヴリンの『フミフギウム』(1661)以来議論されてきたが、産業革命で深刻化していた(なおイーヴリンは、すでに1666年の大火後、ロンドンを公園の輪で囲むことを提言しているから、その意味でも先見の明があった)。公園は、スモッグを逃れる「ロンドンの肺」として期待されたのだった。
とはいえ公園は、両義的な場所である。それは都市問題を解消するだけではなく、それ自体、問題を引き起こしうる。たとえば公園では、事故、暴動、殺人、自殺、特に決闘が多数起きている。さらにロンドンには、ヴォクソールをはじめとする「遊園地」(pleasure
garden)も多く造られたが、これはスリや娼婦(まがいの女性)の暗躍する場だった(それゆえ後には姿を消す)。そもそも十九世紀の公園は、暴動が起きやすい入会地を消し、失業者に職を与えるため造られた面がある。公園は潜在的にもせよ、下層民の暴力と、それを管理する権力との抗争の場であった。今でもハイド・パークなどには「スピーカーズ・コーナー」があって、大衆が自由に演説することが伝統的に許されてきたが、これもそうした暴力のガス抜き効果をもつといえる。
さて、今回復刻される五冊の書物は、公園史の基本文献として現在でも引用されることの多いものである。――ラーウッド『ロンドン公園物語』(1874)は、恐らくロンドン公園全体についての最も早い歴史書。ローマ時代から書き起こし、過ぎ去った時代の有為転変を皮肉交じりに描く。ルース『十八世紀のロンドン遊園地』(1896)は、先に言及した「遊園地」を詳述。セクスビー『ロンドンの市立公園、庭園、オープンスペース』(1898)は、大衆の福利厚生という十九世紀的な新しい指向性を示す。庭園著述家・植物収集家として知られるイーヴリン・セシル夫人(アリシア・アマースト)の『ロンドンの公園と庭園』(1907)は、さすがに包括的・学問的である。トゥイーディ『ハイド・パーク』(1908)は、最も重要なロンドンの公園の歴史を、無数の逸話を織り交ぜて語る。
公園は、それ自体の様式変化を見ても興味深い対象だが、意外にも必ずしも十分研究されていない。しかも公園は、一種の箱である。そこを往来した無数の人々、そこで起きた無数の事件を知るのも楽しい。この度の復刻が、庭園史研究者のみならず、都市、文学、歴史の研究者、さらには一般読者にとっても有益となることを願う。