19世紀末のスポーツウーマン――ゴルフのクラブを握りあげ、ラケットでテニス・ボールを打ち返し、集団競技に熱中する女性たち――まさしく、それは<新しい女>の出現だった。「家庭の天使」をめざしてドメスティックに育てられた母や祖母の世代は、自転車を颯爽と乗り回し、屋外でスポーツやレクリエーションに興じる娘たちの姿に、時代を吹き抜ける新しい風を感じただろう。スポーツほど、女性の身体行動の変化を誰の目にもくっきりと印象づけるものはなかった。
世紀末に突如起こった「スポーツウーマン」現象――それは、女性の身体美と健康への人びとの関心が、大英帝国の政治的利害に後押しされて歴史の表舞台に登場したものである。そもそもの始まりは、少女たちの脊椎湾曲に気づいた医師たちが性的発育への影響に危機感を抱き、軽度の運動や美容体操を勧めたことにあった。やがてくる女子教育の改革のなかで、女性の身体運動への評価は二分されていく。その基準となったのは「生殖能力」への影響である。激しい運動がもたらす弊害を主張する言説が氾濫するなかで、自らに備わる身体能力を信じた女子教育改革者は、パブリック・スクールをモデルにホッケーやラクロース等の競技を取り入れ、校外試合をも敢行した。
スポーツのもつ魅力、それは百年前も今も変わらない。四肢を駆使してボールを追う躍動感、チームプレイで味わう仲間との連帯感、試合に臨む前の緊張感と試合後の達成感、かつて経験したことのない精神の高揚を、少女たちは味わった。スポーツへの熱中は女子高等教育機関にも継承されて学生文化の中核を形成するとともに、時代の風に敏感な女たちの心をつかみ、瞬く間にヴィクトリア時代後期の社会現象となった。最初はおどおどとラケットやクラブを手にした女性たちも、やがてスポーツのもつ魅力にはまり、余暇と娯楽の時間を様々な野外活動に費やした。女性の加入を認めるスポーツ団体や、女性自身が立ちあげた団体が各地に広がり、社交の場としても機能したのである。
今回復刻される4冊の書は、1890年代に女性自身の手によって編集されたものである。寄稿者はみな無名の女性たちであり、全員がまぎれもないスポーツウーマンであった。初めてペンを手にした彼女たちは、スポーツを始めたきっかけや技術向上のための苦心、困難を乗り越える方法やその喜びを、経験に即してわかりやすく書き綴った。そこには男性スポーツライターでは届かない視線、スポーツに初めて挑戦する不安に応えようとする先輩スポーツウーマンの配慮がみなぎっている。
グレヴィル夫人(Lady Beatrice Violet
Greville, 1842-1932)によるThe
Gentlewoman’s Book of SportsとLadies in the Field:
Sketches of Sportは、タイトルが示すように上流・中流階級女性むけのものであり、「スポーツすることで女性らしさが失われたりはしない、それどころか男性の魅力的な伴侶となりうるのだ」と、フェミニニティに反しないことを用心深く強調しながらスポーツへと誘う。パートナーをゲットする舞台が、「舞踏会」から「テニスコート」へと移行することを予言するかのようである。
The
Sportswoman’s Library
(2vols,)の編集者フランシス・スロータ―(Frances
Elizabeth Slaughter, 1851~没年不詳)は、より野心的である。冒頭で彼女は、「スポーツにおける女性の復権」を訴える。女性は古来鷹狩りなど野外での娯楽を楽しんでいたこと、しかし当代の女性は自由と独立を制限され野外活動から遠ざけられてしまっていること、だがこれからは違うのだと、動物狩りや射撃、釣り、アーチェリー、スケート、ゴルフ、ヨットレース、ダイビング、サイクリング、テニスなど、多様な領域でスポーツする女性にその醍醐味と上達の秘訣を語らせている。シンプルな服装で身を固めた執筆者たちの写真は、痛快なオーラを放ち、読者を惹きつける。
しかし、現代の読者は、スポーツでの身体解放を謳歌する女性たちの背後で、女性の身体への国家管理が進行していたことを忘れてはならない。ボーア戦争時に露呈した「イギリス国民の体力低下」への危機感が、女性の心身強化へと世論を傾け、女性のスポーツ活動を促進する土壌を形成したからである。女性の身体の解放と拘束をめぐるポリティクスが、スポーツウーマンの意識しないところで作用していたのである。
さて、2012年夏に、オリンピック第30回大会がロンドンで開催される。英国内で最初のオリンピックは1908年の第4回大会であり、開催地は同じロンドンだった。その時女子が参加できたのは、テニス、アーチェリー、フィギュア・スケートの3種目である。同時代のスポーツウーマンの情熱を集めた4冊の古書を、イギリス社会史、女性史、スポーツ史の流れに位置づけながら読めば、楽しさが倍加するだろう。