Athena Press

 

「男たちの物語」を骨抜きにする

井野瀬 久美惠 甲南大学教授

 The Englishwoman’s Year BookEWYB)は、文字通り、イギリス女性によるイギリス女性のための情報誌である。創設者ルイーザ・マライア・ハバートは、ミドルクラス出身の女性の雇用を促進する民間団体を立ち上げ、活動するなか、何よりも情報の重要性を意識したという。彼女のこの思いを反映してだろう、EWYBは、女性に開かれた中・高等教育の状況や試験、奨学金等の情報、教職や看護婦、タイピスト、会計士、司書といった女性の新たな専門職や雇用、そのために求められる技能の育成・訓練の施設やその中身、医学や科学、芸術や音楽と関わる学校や職業、女性の手になる各種出版物、福祉・チャリティと関わる諸活動、さらには娯楽や趣味にいたるまで、実に多種多彩な情報にあふれている。

 このたび復刊される1899–1916年という時期は、南アフリカ戦争(第二次ボーア戦争、1899–1902)にはじまり第一次世界大戦に至る、まさに「帝国の時代」であった。EWYBは、拡大と再編に揺れたこの時期の帝国空間を見のがさず、女たちの「居場所探し」のすそ野を巧みに広げている。たとえば、「女性のための植民地ジャーナリズム(Colonial Journalism for Women)」という項目にはこんなことが書かれている。

「一般のジャーナリストとは違い、植民地ジャーナリストはスペシャリストかつビジネスマインドを持ち合わせていなければならない。イギリス本国の政治が植民地にどのような影響を与えるか、議会討論を日々フォローする必要があるし、特派員となった場合には、植民地省を定期的に訪問して情報をたえずアップデートし、植民地関係のクラブや組織へも頻繁に出入りすべきである。」

 こうした記述のなかで、ヴィクトリア朝女性の理想とされてきた「家庭の天使」像は確実に解体されている。代わって浮上してくるのは、ジェンダーの差以上に能力の問題――いや、教育や雇用の問題をそうやって捉え直そうとする書きぶり自体が、女性の居場所を開こう(拓こう)とするEWYB関係者のひたむきさの賜物なのだろう。

と同時に、植民地ジャーナリストとして女性が成功する秘訣に次のような助言が添えられていることは興味深い。「イギリスの一般紙からの転載は絶対に避けること。植民地の読者はすべて、本国で発刊される新聞を読んでいるのだから。ただし、厳密に植民地のトピックを扱いながらも、そこに故郷便り(home letter)のような雰囲気が醸し出されるよう、努めることが肝要である。」(引用はすべて1903年版より)

なるほど。EWYBは、徹頭徹尾、女性目線で書かれた情報誌なのだ。そのまなざしは、われわれが知る「男たちの物語」をどのように骨抜きにしているのだろうか。

 

 

 

 

 

20世紀初頭の女性の教育とキャリアを知るための貴重資料

香川 せつ子 西九州大学教授

 ヴィクトリア朝後期の女子教育改革と高等教育機会の拡大は、イギリス女性の歴史に新しい局面を切り開いた。教師や看護婦などの伝統的職業に加えて、医師や公務員、建築士、会計士などの専門職に向かう道が開けたのである。The Englishwoman’s Year Book and Directoryは、高学歴女性の職業機会の拡大をめざして、1881年にルイーザ・マライア・ハバードによって創刊された。以後第一次世界大戦中の1916年までほぼ毎年刊行され、キャリアをめざす女性たちに有益な情報を発信し続けた。  

 しかしながら、フェミニストの抱負とは裏腹に、1919年に性差別廃止法が制定されるまで、専門職への女性の参入は困難を極めた。その結果、The Englishwoman’s Year Bookは、職業開拓の枠を越えて、女性が活躍できる社会的空間についての情報をくまなく収集して掲載し、女性団体の協働とネットワーク化の中心として機能することとなった。

 今回復刊される1899年から1916年までの各巻を繙くと、女性の運動家たちが持ち寄った情報の多彩さに驚かずにはいられない。教育の分野でいえば、中等・高等教育はもとより、幼児教育から成人教育まであらゆる教育機関と職業訓練の機会を網羅して、科学、文芸、美術、音楽、スポーツなど様々な領域で女性が才能を開花させることを称揚した。他方では、女性の参加する社会改良団体や、高齢化し経済的困窮に陥った女性のための救済施設のリストなど、慈善活動に関する具体的情報も掲載されている。

 The Englishwoman’s Year Bookの膨大な頁が伝えるのは、激動の時代をひたむきに生きた女性たちの鼓動であり、チャンスとリスクが隣り合わせとなったミドルクラス女性の生活の光と影である。19世紀末から20世紀にかけてのイギリス女性史、ジェンダー史、社会史研究にとって貴重な史料であることは間違いない。

 

 

 

 

 

ゆりかごから墓場まで、賢く豊かに生きるためのガイド

窪田 憲子 都留文科大学教授

 仮に明治時代の日本で、女性が地方から東京の学校に入学したいと思ったとき――たとえば九州の臼杵から上京し、明治女学校に入学した作家の野上弥生子のような女性の場合だが――、どのような学校があり、そこで何を学べ、どこに住むことが可能か、という情報は、知人のつてを頼りの、極度に限られた範囲でしか得られなかったことであろう。だが同じ頃のイギリスでは、そのような問題はたちどころに解決した。社会のあらゆる分野にわたって、女性たちに必要と思われる情報を提供した年鑑が発行されていたからである。

 この年鑑The Englishwoman’s Year Book1903年版を繙くと、たとえば文学関係については、作家になりたいと思っている女性に向けてのガイダンス――まず3000語程度の短編を書き、それから6万語程度の長編を書くのがよい、作家協会への入会をお勧めしたい、など具体的な助言に満ちている――に始まり、ジャーナリズムやとくに植民地でのジャーナリズムに携わる場合の助言が続く。次に、前年度に出版された小説、児童文学、伝記、歴史、園芸に及ぶ100名近い女性作家の著作の短評があり、さらに分野別の膨大な著作リストや、女性雑誌や少女雑誌のリストが掲載されている、という具合になっている。

 その他、病院については産院の紹介から、子どもの病院、末期患者のための病院の紹介まであり、レジャーについては、世界の主要都市への運賃、ガイドブックの紹介などがあり、さらに郵便のおおよその到着日数まで記したリスト、国会への請願書の書き方等々、生活するのに、あったら便利、ぜひ教えてほしい、と思うような情報に満ちている。

 本書は、女性が情報から遮断されていた長い歴史を変革し、独自のネットワークを形成するのに、大きな促進力になったことは間違いないであろう。女性読者のそのような情報に対する渇望と、女性たちにできる限りの情報を提供し、幅広い人生の機会を視野に入れてほしいという編集者とその協力者たちの熱い願いがにじみ出た本であるといえる。