キシュラに匹敵する服飾史・風俗史の古典
徳井 淑子 お茶の水女子大学教授
ヨーロッパの服飾史を専門とするものが、今なお古典として利用している書物といえば、1875年に刊行されたジュール・キシュラの『フランス服飾史』である。 キシュラのこの著作に勝るとも劣らぬ服飾史の古典が、このたびアティーナ・プレスから復刻される。アルフレッド・フランクランの『私生活』史シリーズ全23巻のうち 「マガザン・ド・ヌヴォテ」、すなわち「流行品店」と題された4巻である。マガザン・ド・ヌヴォテとは、消費文化の時代を迎えた19世紀のパリで流行の服飾品を売り、 やがて百貨店を生む母体ともなった店舗を指す。ゆえに題目の選択はいかにも19世紀らしく、内容は流行品店の陳列棚を見るように、衣服のアイテムごとにその歴史を述べている。 1894年から1898年にわたって刊行され、キシュラの著作に20年ほど遅れたが、ときにキシュラの誤解を指摘しながら丁寧に解説している。 全23巻のシリーズのうち「Part 1」として今回アティーナ・プレスから刊行されるのは、この4巻に、パリの呼び売りの歴史をたどった珍しい1巻を含めた全5巻である。
著者の語りは、今さらながら風俗史を知る楽しみを教えてくれるのだが、とはいえ文書記録から文学作品まで多彩な史料の典拠を明示した手堅い服飾史である。
『マガザン・ド・ヌヴォテ』第1巻は13世紀から始まるが、それも服飾産業にかかわる同業組合の規約文書がこの時代から残されるようになるからである。
つまり職人の製作した服飾品から書き起こし、その服飾品にまつわる記録や描写へと史料を広げていくという手法は、憶測を許さない著者の歴史に対する態度である。
私たち服飾史家はもちろんだが、広く風俗・歴史に関心のあるひとには、この領域の原点としてこの著作に戻ってみることをお勧めしたい。
史料の宝庫として今さらながら発見があるばかりか、1世紀以上を経て、著作は古くなるどころか、今後の風俗史研究の展開の上でも示唆に富む。
『パリの呼び売り』は、食料品の行商はもとより、掃除人の呼びかけ、遺失物や迷子の広報、また死亡通告など、
中世から近代に至るまでパリの街にひびいた呼び売りの歴史を述べ、13~17世紀の8編のテクストを添えた史料集でもある。
時代を追って満遍なく解説するわけではないが、史料さえあれば些細な付属品の説明も詳細をきわめる。 しかも今日の定説として知られている時代よりもはるかに早い時期の史料の提示も少なくない。 『マガザン・ド・ヌヴォテ』第1巻は、「序」に続いて「衣服」の歴史であり、今日の服飾史通史に最も近い。 第2巻は、「手袋と香水」、「小間物」、「毛織物」の3部構成。手袋と香水とが組み合わされているのは、 手袋製造業者が香り付けのために香水を生産していたからである。第3巻は、「染色と喪」と題された前半に、 「帽子」の歴史が続く。染色と喪という組み合わせも一見して奇妙だが、要するに色彩の文化史がまとめられている。 中世服飾の刊行史料として知られているドゥエ・ダルク校訂の王室会計記録から色名を拾い、 15世紀の色彩論『色彩の紋章』から色の意味を語るというのは、最も基本的な作業ではあるが、 とはいえ18世紀に至る400語を超える色名の集成は、今日ミシェル・パストゥローの著作で注目を浴びている色彩文化史の嚆矢であるといっても過言ではない。 もちろん色彩感情に踏み込んだ分析ではないのだが、収集した多彩な色名と命名のエピソードは読み物としても最高に面白い。 そして第4巻は、「リンネル製品」、「靴製造」、「毛皮」、「ステッキと傘」。ハンカチや夜着が使われるようになるのは17世紀であると、 私たちはノルベルト・エリアスの名著『文明化の過程』に教えられているが、フランクランは16世紀の記録のなかでこれらを詮索しており、新鮮である。
さらに本書は、服飾の実態を史料にしたがって追うばかりではなく、服飾をめぐる複眼的な解釈への展開を示唆している点で貴重である。 夫婦が家長権をめぐって争う《ズボンをめぐる争い》の図像テーマは、近年のジェンダー論の展開のなかでしばしば話題になるが、 それも第1巻の「衣服」の歴史のなかで既に言及されている。あるいは下着や夜着にまつわる民俗的なコメントも、 文学・美術・民俗などの領域を横断する歴史人類学の新たな展開を示唆するという意味で重要である。 未だ充分な研究がなされているわけではない服飾史と風俗史の領域に、1世紀以上の時を経てなお研究の可能性を教えてくれる古くて新しい古典的著作である。