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料理を料理する歴史家の華麗な包丁捌き

平野 隆文 元立教大学教授

 

 欧米や日本の現代人は、過去を心の深奥で憐れんでいる。時代を特定もせずに、ただ漠然と、粗食やボロや短命に甘んじ、法も掟もまだ社会の正書法として定着していないカオスの中に生活していた、と漠然と考えている、否、現代の無根拠な「先端意識」にそう思考するよう無意識裡に仕向けられている。しかし500年後、21世紀が同じ屈辱を味わっていないという保証はない。

 フランクランは「料理と食事」の冒頭で、「進歩の幻想」に関し以上に相似する皮肉で、19世紀の読者に先制のアッパーを浴びせている。恐らく、パリの日常生活の何百年に亘る記憶の鉱床から、瑞々しい景色を蘇生させていく彼の卓越した資料解析の方法論およびそれを支える博覧強記については、多くの論者が指摘している処だろうから、ここでは細かく触れない。寧ろ、フランクランの進歩観を巡る思索が、やはり「進歩」を前提にせざるを得ないこと、それでも、物語と陳列とを交配させて、豊かなモノが横溢する宇宙を描いて見せるその先には、イデオロギー的な問題系が複雑に絡み合っていること — 以上を踏まえると、19世紀の歴史家フランクランの独自性が浮かび上がる筈だ。

 食事や料理の分野は、ノルベルト・エリアスを待つまでもなくマナーの領域と、比例的に連鎖していると考えられている。果たしてそうか。エラスムス『礼儀作法』によれば、「囓ったパンでソースを吸い取るのは、野卑な田舎者の無粋である」らしいが(『食事』p. 211)、これは21世紀まで連綿と続く「美風」ではないか。既にフォークを用いる習慣が徐々に浸透しつつあったイタリア人たちを真似て、帰国後イギリスで同じ所作を人前で披露した御仁は、嘲笑の的になった(同書、p. 54)。フランクランは同様の例を畳み掛けながらこう結論する。① フランスでは少なくとも17世紀までは手で食事をしていた。② エリート層がフォークを使い始めたのは早くとも1600年。③ 18世紀以前までは、ブルジョア階級にフォークが浸透することはない。フランクランは、ここから、予期しえない核心へと切り込む。「以上でよく理解できるように、我々の祖先の私生活に関する一切は、今まで無残なまでに忘却の彼方に葬り去られていた。歴史家たちはこうした卑俗な問題を扱うのを、自らの博識に釣り合わない、否、おそらく歴史の尊厳を汚すとすら見なしてきたのだ」(同書、pp. 53-59)。手で食し続ける西洋の野蛮人の形象は、16世紀が描出した「新大陸の野蛮人」と、表象上パラレルな関係にあるため、研究対象から排除されたのだろう。このカラクリを直感的に見破る我らが歴史家の、鋭利な自己批判の洞察力には感服する。

 このように、フランクランは随所で、「進歩」をアナール派的な問題意識の内部に、さらには多彩な社会的含意の網目に取り込んで見せる。少なくとも食の分野において、「進歩」は時間的にも空間的にも猪突猛進するメカニズムでは計れない。マナーを導出する食器類の歴史は、社会的ないし地政学的要請に条件づけられつつ、曲折を厭わない複線的な「回路」を描く。それは同時に、死者たる祖先が、生者を掴みその拙速にブレーキを掛ける逆方向の力学にも牽引され、事象の後景の受肉を経て厚みを増す。

 既に13世紀から16世紀の時点で、パリには海の幸を始めとする多種多様な食材が揃っていた。「女中」の視線を内面化したフランクラン自身が復元するその市場の様相は、ゾラの百貨店を600年以上も先取りしている(『料理』pp. 1−37)。しかし、ギルドがデパートに「進化」したとしても、食品に関わる「労働」の質は、同係数の改良を見ない。モノの横溢とコトの停滞の瞬間的な把握。フランクランの「食事と料理」は、「身体と排泄と衛生」の問題をも巻き込みながら、ミクロがマクロと絡み合う因果の糸を、手品師の如く解きほぐしていく。それは既に名人芸の域にある。