アティーナ・プレス社は、これまで多くのヨーロッパの貴重書を復刻して,世の書物愛好家を喜ばせてきたが、今回のジョゼフ・ファーヴル『実用料理百科大事典』(1905-6年)は、まことに時宜を得た、というか、機が熟したというか、渇望久しかったフランス料理のバイブルを装い新たに出現させることになった。
フランス料理に関しては、ジュスタン・アメロ編『食卓の名著選』(1855年)全2巻の巻末にある書誌によれば、14世紀の一パリ市民による『パリの家政論』(1847年。以下刊行年はジュスタン・アメロの記述に従う)から始まって、ラヴァレンヌ『真正フランス料理』(1667年)、そして名高いグリモ・ド・ラ・レニエールの『美食家年鑑』(1800年)、ブリア=サヴァランの『味覚の生理学』(1825年)など文字通り汗牛充棟、さすがに「美し国フランス」は美食の国と納得する。私も下手の横好きでその類の本をいくつか集めたりしたが、このファーヴルの事典は名のみ聞いて私の書架になく、古書のカタログに出れば何を措いても、と思っていながら一向にお目にかからなかった。あるいは高値の故に私の網にかからなかったのかもしれない。
グルマンの谷崎潤一郎は、その文中多くの料理を語って倦まなかったが、さすがに日本料理となればそれなりに察しがつく。しかし私の専門と称するフランス文学に出てくる料理はそうは行かない。クルティーヌ『食卓のバルザック』(1976年)は、バルザック作品に現われる料理をレシピとともに紹介するが、オムレツは「トリュフのオムレツ」、「マグロのオムレツ」の2種。ファーヴルの事典を見ると、まずその語源から始まって、その種類無慮60。もちろん「トリュフのオムレツ」も入って全8頁が費やされている。記述の特徴は、まずその材料、調理の科学的な説明から入って調理の実際に及んで蘊蓄が傾けられることで、それはあたかもファーヴル自身の個人的経歴に応じるようだ。
幼くして孤児となった彼は、医学志望ながら弁護士の後見人の言うままに料理人の道を踏まされ、刻苦勉励(コック勉励の洒落ではない)、ヨーロッパの各地で修業してシェフとなり、さらに生来の科学的志向を満たすべくジュネーヴの大学にも通って自然科学を研鑽するとともに、パリ、ロンドン、ベルリン等の名店で名声を欲しいままにした。しかし彼を偉とするのは、それのみならず、世界で初めての料理人による料理ジャーナル『料理科学』を創刊、7年にわたって編集し、その集大成としての『実用料理百科大事典』全4巻を完成したことだろう。その記述は19世紀末までに知られたあらゆる食材にわたり、その淵源、栄養的価値から始まって、レシピ、道具、テーブルサーヴィスや飾りつけに及ぶ綿密なもので、食の普遍的価値を諄々と説く趣きがある。
料理人が執筆する料理書としては、名料理人として盛名揺るぎないアントナン・カレームの『19世紀実用フランス料理術』全3巻(1833-35年)がある。彼の材料別によるレシピの説明は料理に対する愛情にあふれ、料理する際の注意書きも実に行き届いた感があり、読み物としてまことに面白い。しかし、たとえば「辻留」主人、辻嘉一の料理書のように、その達人ぶりが表に出て、文章としてまことに味わい深いものの、さて本を手本に何か一品作ってみようとすると、なかなか名人のようには行かず、名人が軽快に説く下処理さえ、面倒に思えてくる。
ところがこのファーヴルの事典の記述は、執筆の基準として「科学的」であることを志向したと思しく、語源や由来を説く項はきわめて厳密、明快な著述で、レシピも簡潔かつ具体的で、これなら作れるかも、という気持ちを起こさせる。もとより料理、料理史研究家に必携だが、素人の愛好家や文学その他ヨーロッパ文化に触れる機会の多い読者も、精細な図版を見て唾を飲み込む楽しみもある。
熱意あふれるジョゼフ・ファーヴル、料理にかける信念の宝庫としての『実用料理百科大事典』、折に触れて頁を開き、閲読を楽しむとともに知識を得、多少は物知りぶった顔をしてみるのも一興か。