2014年9月にファーヴル著『実用料理百科大事典』全4巻が発刊されることになった。折しも昨今は世界一の長寿国である日本型食生活ブームであり、昨年12月に食の分野として5番目に、「自然を尊重し季節折々の地域文化や慣習の伝承も含めたもの」としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界無形文化遺産になったことともあいまって、日本料理に注目が集まっている。しかし、日本料理とはどのような料理なのかを理路整然と説明出来る人は少ないであろう。そもそも料理は変遷するもので、現在の食卓に頻度が高く登場するトンカツ、ハンバーグ、カレー、牛丼・・は鎖国が終わり日本が開国したときから入り込んできて日本料理と融合したものなのであるが、これが日本料理と思っている人も多いかもしれない。また一方では、現在のフランス料理は素材を活かした調理方法や、日本の食材であるゆずや山椒を用いた香りづけ、懐石のような少量の凝った盛りつけがみられるようになったが、もともとはルーを用いたソースを特徴とした料理からヌーベルキュイジーヌと呼ばれた、煮詰めたエキスをバターモンテしたソースへ、地方料理を見直そうという流行(地中海料理など)を経て変遷してきたものである。
そこで、料理がどのような変遷を経て変化してきたのかを調べることは、その国の生活様式の変遷、農作物や物流、熱源や道具の発達などと密接に関わるため、その時代の文化を学ぶことにもなる。また、料理名は、材料や調理法が限定されるもの、また作者の意図する心が入っていたりするものでもある。つまり料理を作成する上ではある一定の約束事を守る必要があり、それが何であるか学ぶことはその料理の背景を理解することであり、大変重要なことなのだと思う。それを知らずして料理を変化させ、本来の意味からほど遠い料理に変化させてしまうことは、学のない人の行いであろう。
私は大学で調理学の教鞭をとっており、折にふれてその謂われを学生に言い聞かせている。例えば、大学に伝わる伝統料理の中で最も古いものは、クリスマスの飾り付けに残っている。そのルーツをみると、創立(1901年)2年後の1903年に遡る。その頃の講師、渡辺鎌吉氏(華族会館料理長・明治屋)による影響は大きい。しかし、彼の料理は、外国人居留地(オランダ公使館)で習ったもので、日本における代表的なフランス料理事典(ラルース)に掲載されている料理の中には見いだせず、ナポレオンⅢ世の料理番アントナム・カレームやフェルナンデュポワの料理の挿絵でようやくみつけることが出来た。しかしそのレシピまではわからなかった。なぜなら、日本で料理人のバイブルとも呼ばれているラルース料理事典はエスコフィエ以降の料理が主流であったからである。明治時代、鹿鳴館のころの料理はそれ以前の料理が日本に伝わったものであった。しかしその料理は絵や写真で少々残っているのみで、そのレシピや作り方がわかる百科事典は日本ではみつからなかった。ところがこのファーヴル著『実用料理百科大事典』には私にとって謎であった、アトレー串についての掲載があった。しかも挿絵がすばらしく詳細で美しい。また、他にも知りたかったビスキュイに関しても11頁50項目掲載されていた。そして料理の最初に背景、定義の解説があり、最後には衛生管理までも触れられている。道具やテーブルセッティングに関する記述もある。
19世紀以降のフランス料理の本には、『料理の本』(アレクサンドル・デュマ著1873年)、宮廷やホテルの料理人たちの5000種の料理レシピを掲載した『料理の指針』(オーギュスト・エスコフィエ著1903年)、『ラルース美味学辞典』(プロスペル・モンタニエとアルフレッド・ゴットシャルク共著1938年)、フランスを主とした2巻本の食生活史『新ラル−ス美味学辞典』(ロベール・クールティーヌ著)など多々あるが、そのいずれにも掲載のない料理が多数紹介されていることに驚かされる。この度の復刻出版により19世紀のフランス料理が詳らかにされ、日本で変遷してしまった料理名や定義の良く分からない西洋料理の実態が明らかにされる日も近いと期待される。