Athena Press

 

19世紀挿絵本の白眉

柏木 隆雄 大手前大学長

 またまた渇望久しい19世紀挿絵本の名品が復刻される。それも単なる挿絵本ではない。ちょうど19世紀も半ば、印刷技術がいよいよ精巧になり、読者も高尚な趣味を誇る貴族のインテリからブルジョワ中産階級へと広がってきて、彼らの興味のありどころ、その築き上げたブルジョワ社会の繁栄の光と影を示すかのような『動物の私的・公的生活情景』2巻。1842年を初版とするこの本は、挿絵画家としてガヴァルニとともに他を圧した第一人者グランヴィルが、斬新なアイデアをひっさげて登場して間もない出版界の鬼才エッツェル、7月王政下の貴族とブルジョワのせめぎ合いを『人間喜劇』の壮大なタイトルの下に描き出していたバルザックと組んで、中世の『狐物語』以来、フランス文学の伝統につながる動物寓話、とりわけラ・フォンテーヌの動物寓話集『ファーブル』の向こうを張る『動物寓話集』なのだ。

ラ・フォンテーヌはルイ14世の絶対王政下に、宮廷人たちの人間模様をイソップで知られる動物たちの姿を借りて活写したが、古典主義の模範となるような簡潔にして端正な詩形をもって寸鉄人を指す鋭さを示した。一方19世の寓話集はブルボン王朝の傍系、ルイ・フィリップの立憲君主制のもと、当時覇をとなえつつあったブルジョワたちの欲望を、古典的な慎みを解く饒舌な散文で暴露する。冒頭の「動物議員総会」と題したプロローグからして、当時の議会のパロディになっているところを見ても、著者たちの意図は十分に理解されるだろう。しかしそうした風刺、諧謔の精神は、グランヴィルの見事な挿絵によって、いっそう生々しい迫力が発揮される。グランヴィルはこのとき39歳、その5年後に亡くなるこの挿絵画家の一つの頂点に達していた時の作品でもあった。

この書物の出版を思いついたのは、しかしグランヴィルではない。ピエール=ジュール・エッツェル、出版者兼編集者かつ筆も立つ、画家より10歳も年下の青年だった。グランヴィルの社会風刺に満ちた筆致に魅せられた彼は、グランヴィルの絵を最高に活かす本の出版を企画した。そのことはP.-J.スタールというペンネームで書いた序文に「この本の出版はグランヴィル氏の素晴らしい動物たちに言葉を与え、彼のクレヨンにわれわれのペンを合体させようとしたものだ。」という言葉で明らかだろう。しかしその「われわれ」とした執筆者たちの豪華なこと。まずバルザック、ミュッセ、ジュール・ジャナン、ノディエ、そしてサンド(もっとも彼女はある一編の末尾数行の参加にすぎない。)、あのアメリカ独立運動の名士、ベンジャミン・フランクリンの名も扉を飾っている。なかでもバルザックは全2巻中、「イギリス猫の悲哀」など4篇を寄せて大奮闘を見せる。

おそらく『動物の私的・公的生活情景』というタイトルも、バルザックのアイデアが入っているのではなかろうか。ご承知のとおり彼は1830年に彼の最初の短編集を『私生活情景』として以来、ずっとこの題名をその『人間喜劇』の中に変えることなく用いているし、当時彼の全集たる『人間喜劇』は、『動物の私的・公的生活情景』と同じ年、エッツェルを中心に刊行が開始されるから、バルザックとこの青年編集者との頻繁なやり取りは、容易に想像がつく。

しかしバルザックがハンスカ夫人に宛てて「『動物の私的・公的生活情景』は挿絵のおかげで2万5千部売れました」とグランヴィルの挿絵の効用を大いに認めているとおり、この本の値打ちはグランヴィルの挿絵の妙にある。あるいは彼の挿絵と一流作家たちの文章との見事な融合にある。先に復刻された『パリの悪魔』全2巻はグランヴィルの好敵手ガヴァルニと当代の作家たちの競演だった。今度の『動物の私的・公的生活情景』の復刻で、19世紀のパリならぬ21世紀の日本で両者の対決が存分に味わえるわけだ。そのためにも精密、巧緻な復元技術がいるが、すでに『パリの悪魔』他多くを手掛けている出版社だけに、その辺に抜かりがあろうはずがない。

私もまがりなりに同書を一本所有しているが、この一本というのがクセモノで、じつは1867年の補綴第2版(書誌は第2版は1866年としているから、あるいは私のはそれの重版か?)、これの挿絵は、例の『フランス人自身が描くフランス人』にも着色版があるのと同じように、職人たちによる着色が施されていて、それはそれで面白いのだが、やはり本物の初版本2冊が、刊行者たちの意気などまともにうかがえて貴重である。私も復刻本を見れば、やはり食指を動かすことになるのが目に見えていて、今から復刻本が刷り上がるのを、恐る恐る、しかし本当はワクワクしながら待っている。願わくは21世紀日本の愛書家諸氏が、19世紀パリの愛書家たちの愉悦を共有されんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

『動物の私的・公的生活情景』の画期的な新機軸

私市 保彦 武蔵大学名誉教授

 『動物の私的・公的生活情景』は、いくつもの新機軸を生みだした画期的な出版だった。「われわれの考えはグランヴィルの絶妙な動物画にことばをつけることだった」と「序文」の冒頭で宣言されているように、本の作者はグランヴィルであり、主役は躍るように描かれている動物たちである。そして物語は、動物たちが人間への隷従からの解放を叫ぶ場面で、この寓話集の幕が開く。

 西欧では、イソップ、ラ・フォンテーヌ等々、擬人的な動物寓話による人間風刺の伝統があるが、動物が人間の上に立って、第二巻の末尾近い388頁の見開きに掲載されている絵にあるように、いわば檻に入っている人間を動物が見物するという主客転倒の動物寓話はなかった(スケッチしている人物はグランヴィルであろう)。このユニークな著作を可能にしたのは、グランヴィルという希代の風刺画家の起用、菱形の鑿で輪切りの木に彫るビュラン彫り、あるいは小口彫りの技術の活用、挿絵画家を主にして作家を従にするという逆転の発想であった。

 集められた作家たちの顔ぶれも尋常ではない。バルザック、ノディエ、ミュッセ兄弟、サンド(但しサンド作とされている「パリ雀の旅」はじつはバルザックの代作)、ジュール・ジャナン、ヴィアルド等々、それに編集者のエッツェル自身もスタールの筆名で作家デビューを果たしている。いずれも、突飛な空想と辛口の筆致で、当代の人間模様をこっぴどく風刺している。こうして読者は、動物や虫の世界に人間社会の写し絵を見ることになる。例えばミュッセの「白ツグミ」などを読むと、ユゴーとかミュッセの破れた恋の相手のサンドが揶揄されているのが一読でわかることになる。

 なかでも、フランス社会の生態を動物の視覚と行動を通して描く一連の寓話を載せたのは、バルザックである。バルザックは『人間喜劇』を書いただけの作家ではないと近年見直されているが、この書でいちばん大きなスペースを占めているその動物寓話を読まずして、バルザックの風刺と諧謔と想像力を語るなかれとさえいいたい。(訳書に拙訳の水声社刊『動物寓話集』がある)。

 エッツェルは、「この本の成功はかなりのもので、文学的成功でもあります。文壇でも最高にすぐれた名前がはじめから執筆者として名をつらね、それぞれの作家が得意わざを披露しています。グランヴィルの最高の栄誉は動物たちの特性を見抜くことができたということで、彼はこの本以上にそれをうまく実現したことはありませんでした」とバルザック宛の手紙で自画自賛しているが、これがけっして我田引水の誇張でないことは、この出版の特徴と成功でわかる通りである。なお、この本のタイトルも、バルザックと関係がありそうである。というのは、バルザックはすでに『私生活情景』などの作品集を刊行しているだけでなく、エッツェルはこのとき、「私生活情景」「パリ生活情景」等々の情景ものを総合したバルザックの『人間喜劇』の刊行を企画しはじめていたからである。

 しかし、なんといっても、エッツェルがその才能を十二分に引き出したグランヴィル抜きではこの本の成功はありえなかった。当時人間を動物のメタファーで描く手法が文学でも挿絵でも登場していたが、その代表的な画家がグランヴィルであった。グランヴィルはその分野での腕をみがき、『動物の私的・公的生活情景』でその成果を見せつけた。それを鮮やかな復刻で見ることができるのは、なんという幸運であろうか!