Athena Press

 

ヴィクトリア朝ジャーナリズムの新たな鉱脈
The Household NarrativeThe Household Words Almanac の復刻に寄せて

松村 昌家 大手前大学名誉教授

 The Household Narrative of Current Eventsは、チャールズ・ディケンズ主宰の週刊誌として知られるHousehold Wordsの姉妹版である。

 1850330日付けでHousehold Words が創刊されてからまもなくディケンズは、月末ごとにこの週刊誌の月間合併号(マンスリー・パーツ)を出すことを思い立ち、それに合わせてやはり彼自身の主宰により、Household Wordsと同じ体裁の月刊サプリメンタリ・ナンバーを発行することにした。そしてHousehold Narrative of Current Eventsが誕生したのである。

 Household Wordsが創作と評論を主眼とした週刊誌であったのに対し、Household Narrative of Current Eventsは、その誌名にも標されているように、国の内外における「今日の諸問題」に関する情報を読者に提供することを目的とした。

 1850年から1855年までの全6巻を通して取り扱われている “narrative” の題目は、大別して次のとおり。1.「三つの王国」(巻頭評論、前半3巻のみ)、2.議会と政治、3.社会と衛生と市政の進展、4.法律と犯罪、5.事件と災害、6.海外と植民地、7.文学と美術。

 まず注目したいのは、この雑誌がディケンズの作家活動の最盛期、彼のジャーナリズムへの野心と情熱がほとばしり出ていた頃の産物であったことだ。そしてもう一つ重要なのは、この雑誌に盛りこまれた時事問題が、1850年代の最盛期におけるヴィクトリア朝の現実そのものを映し出しているということである。

 1850年代は、イギリスの歴史のなかであらゆる面で、とりわけ活気に満ちた、際立った10年間であった。「賢明な人は誰でも、青年期を生きたい10年間として1850年代を選ぶだろう」と、G. M. ヤングは、彼の名著『ある時代の肖像』のなかで言っているくらいである。

 しかし、小説家としてのディケンズの1850年代は、『荒涼館』(185253)という今までにない重苦しい小説をもって始まっている。興味深いのは、この小説の出現と密接にかかわる二つのトピックが、Household Narrative1巻に語られているということである。

 一つは、『荒涼館』を通じて不朽の名を残した道路掃き少年ジョーの原型となった、ジョージ・ルビーの話、そしてもう一つは、最も恐るべき環境汚染の根源となっていた、貧民共同墓地に関する問題である。ディケンズの作品世界と本誌に盛りこまれた「今日の諸問題」との相関性については、いずれ「解説編」で論じられるようになるだろうが、Household Narrativeの興味は、それらの諸問題が、決してディケンズの作品との関連性だけで尽きるものではないことを、強調しておきたい。

 各巻頭にまとめられた目次に目を通してみよう。そこには、先にあげた七つの大項目のもと、全巻平均約5ページにわたって、「今日の諸問題」に関する「膨大な見出し」(“a copious Index”)がびっしり詰まっているのである。それはおのずから「その年に起こったあらゆる出来事の完全なクロニクルをなすであろう」と、Household Narrativeの発刊の辞には述べられている。そしてそこにはさらに、「年ごとのあらゆる出来事に注意深く目を配り、編纂と要約には十分に意をつくし、体系的な配列を工夫することによって、利用の便が図られている。提示された膨大な情報に、全読者はきっと興味をもたれることであろう」という抱負が述べられているのである。(Household Words1850413日号)

 この抱負はそっくりそのまま、ヴィクトリア朝の歴史、文学、社会、経済等々の研究に携わるすべての研究者に向けられたメッセージとして受け入れてよいと、私は思うのである。

 

 ディケンズは、185512月を最後にHousehold Narrativeの刊行が中断したあと、月刊Household Words Almanacの刊行に乗り出した。18561月から翌年12月までの2か年のオールマナックで、それぞれ27ページと28ページから成り、価格は4ペンス。その巻頭言には、「このオールマナックにおいて、われわれは、古来の方式を多分に取り入れつつ・・・太陽と月の運行を見極めると同時に、小鳥たちの歌にも注意を向けて、最も親しみ深い鳴き声を最初に聞ける日々を記し・・・見なれた花々の咲き始める日々に注目する」とある。

 オールマナックは、もともと天文学と占星術による予言を売物にして発達してきたのであった。17世紀以来イギリスには、オールマナックの文化史が形成されていたが、ディケンズが最も意識したのは、おそらくチャールズ・ナイトのThe British AlmanacThe Companion to the Almanacであろう。1828年に創刊されてから1880年代ごろまで続刊されて、一年中の季節や出来事から生ずるあらゆる問題についての情報源として最も重宝されていたのである。他にG. クルックシャンクのComic Almanac183553)などを視野に入れると、Household Words Almanacの発行の背景はさらに広がり、ますます興味が深まる。

 

 ディケンズのジャーナリズムに注意が向けられはじめてから久しい。その間Household Wordsの陰に隠れたままになっていたHousehold Narrativeと、その存在さえほとんど知られていなかったHousehold Words Almanacが、同時に復刻されることになった。一人のディケンジアンとして、またヴィクトリア朝研究仲間の一員として、1850年代ジャーナリズムの新たな鉱脈の発掘に向けて胸をはずませているのである。