Athena Press

 

19世紀パリへの魅惑的ないざない

小倉 孝誠 慶應義塾大学教授

 

  この度アティーナ・プレス社から『大都市――新パリ案内』2巻(初版は1842‐43)が復刻されることになった。「パリ・パノラマ」シリーズとして、これまで『パリの悪魔』や、エドモン・テクシエ著『タブロー・ド・パリ』が刊行されてきたが、今回の『大都市』はその一環であり、原著の出版年は前二作よりも早い。

  七月王政期(1830‐48)には、パリに関する図版入りの書物が数多く出版され、その大部分が数巻、長いものでは十数巻から成る。いずれも19世紀パリの生活、風俗、文化、社会を知るためには貴重な資料であると同時に、それ自体が「生理学」というジャンルに属する文学作品とも見なされた。生理学とは、社会現象を、あるいはさまざまな階層や、多用な職業に従事するひとたちの性格と習俗を、精彩に富んだエピソードを織り交ぜながら時には辛辣に、また時にはユーモラスに叙述したジャンルである。パリとその生活は、このジャンルにとって恰好の主題になった。

  この時代にパリをめぐる「生理学」ものがたくさん書かれた背景には、いくつかの理由を指摘できる。まず、革命後において首都パリがあらゆる意味でフランスの中心となり、パリの情勢がフランスの運命を決めるという時代が到来したために、人々のパリへの関心が高まった。たとえば文学の領域でパリが物語の舞台となることが多くなり、パリという都市が神話化されていったのが、七月王政期である。それを納得するには、バルザックやウジェーヌ・シューの小説を想起すれば十分だろう。次に、この時代にはジャーナリズムが飛躍的に発展して、知の民主化が進んだ。教育制度の整備にともなって識字率が上昇したおかげで読者が増え、印刷技術の進歩によって定期刊行物や書籍の発行部数が伸びた。リトグラフ(石版画)や木口木版画などの複製技術がそこに加わり、大量の挿絵入りの新聞・雑誌やイラスト本が世に出た。パリに関する一連の著作は、そうした文化的状況のなかで実現したのである。

  これらの著作は一般に数多くの著者が共同して執筆しており、当時を代表する作家、ジャーナリストが含まれていた。『大都市』の執筆者としてはポール・ド・コック、バルザック、スーリエ、デュマ・ペールなどの名前が見える。第1巻を執筆したコックは大衆的な風俗小説や恋愛小説で人気が高く、スーリエはメロドラマ的な新聞小説で名声を得ていた。第2巻に収められているバルザックによる「パリの新聞・雑誌の研究」と、デュマによる「売春婦、ロレット、高級娼婦」はどちらも80頁近い章で、この種の著作では破格の長さであり、二人の熱意のほどが分かる。どちらも自分が熟知していた世界について健筆を揮った。挿絵を担当したのはガヴァルニ、ドーミエ、アダン、ドービニー、モニエなど当時を代表する挿絵画家たちで、とりわけドーミエの手になる挿絵は芸術的にも質が高い。そこには教育的な配慮と共に、読者を楽しませようとする出版社の強い意図が感じられる。

  『大都市』の原題に「タブロー・ド・パリ」という語が見えるが、これは当時のパリの生理学ものの特徴と言ってよい。18世紀末の作家メルシエが書いた『タブロー・ド・パリ』への目配せであり、実際『大都市』の序文ではメルシエの本が引き合いに出されている。メルシエが革命前のパリの生態を活写したように、『大都市』はそれから半世紀を経た19世紀半ばのパリの姿を伝えようとする。パリの歴史ではなく、もっぱらパリの今を描き、語ろうとする。今、目の前に存在するパリで何が起こり、何が愛され、人々が何を感じ、考えているかを叙述する。生理学というジャンルは徹底して現在主義であり、過去への感傷的な郷愁はいささかもない。スタンダールが小説について用いた比喩を借りるならば、本書は同時代のパリの姿を映し出す鏡である、という自負を隠さない。

  取り上げられている項目としては、まず商人、芸術家、お針子、娼婦、外交官など多様な職業や人物類型が定番として記述される。続いてガス燈、歩道、酒場、舞踏会、衣料品店、市場、公営質屋などパリの市民生活とつながりの深い設備や施設の現状が、諧謔的なエピソードをまじえて語られる。これらの項目は、当時のパリ本にほぼ共通している。『大都市』の特徴は、サン=ドニ通り、植物園、パレ=ロワイヤル、シャン=ゼリゼ、リュクサンブール公園など、パリの特定の界隈あるいは地区に独立した章を割いていることで、首都の地誌を詳細に描こうとする強い意図が感じられる。

  本書は、新たな発明や技術にも関心を示す。その存在と、それに対する対処のしかたと利用方法を読者に知らしめる、という教育的な配慮がそこにあるだろう。たとえば「鉄道」と「銀板写真(ダゲレオタイプ)」に関する章。鉄道の章では、週末のサン=ラザール駅(パリで最初にできた駅)の雑踏と、パリの住民たちの列車への熱狂ぶりが喚起される。銀板写真の章では、実際に肖像写真を撮ってもらった人々が、多くの場合その出来具合が悪い、実際の自分よりも醜い容姿で写っていると苦言を呈するさまが、皮肉な口調で語られている。新たなテクノロジーはいつでも、興奮と不信を引きおこすものだ。

  文、図版ともに質が高い本書は、19世紀前半のパリを知るために不可欠の文献であり、図書館や研究者や愛書家の書棚を飾るにふさわしい。