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19世紀イギリス庭園文化と時代を映す必読文献

安西 信一 元東京大学准教授

 十八世紀イギリスで出現した風景式庭園は、従来の幾何学的・規則的・人工的な整形式庭園とは対立する自然風の庭であった。ラウドンはこの風景式庭園の流行がイギリスのみならず全ヨーロッパを席捲し、やがて沈静化した後の十九世紀イギリスを代表する造園家である。それゆえ彼は、なるほど初期には風景式庭園の純化ともいえるピクチャレスクの美学に傾倒するものの、けっして風景式一辺倒にはならない。むしろ彼の最大の特徴は、風景式や整形式のみならず、あらゆる様式や要素をすべて包含しようとする、時に強迫的ともいえる折衷主義的な網羅性にある。今回復刻される重要な著作が、いずれも「百科」と題されているのも、この傾向を端的に示していよう。

 スコットランドの農家に生まれたラウドンは、1803年、二十歳の時、造園を志しロンドンに出る。しかしリュウマチ熱により身体に不自由をきたし、農業関係の仕事に向かう。その後、農園から得た資金で大陸を旅行。多くの庭園を目にした彼は、それを基にEncyclopaedia of Gardeningを刊行する(1822)。これは最初の網羅的・包括的な庭園書ともいうべきもので、当時から重要な書物であった(独訳、仏訳も出る)。またスコットランドの優れた農業を導入した彼は、農業学校も設立するが、そうした造園における有用性の強調は、十八世紀以来の伝統でもあり、ラウドンの一般的な特徴となる。Encyclopaedia of Agriculture(初版1825)はこの延長線上で捉えられよう。さらにラウドンは狭義の造園だけでなく、都市計画や建築の分野にも貢献する。墓地、グリーンベルト的構想、様々な庭園建築物、コテージやヴィラ、温室まで。そうした建築面での業績を代表するのが、Encyclopaedia of Cottage, Farm, and Villa Architecture and Furniture(初版1833)である。ここでも彼は折衷性を隠そうとしない。

 こうした折衷主義や網羅性は、一つにはラウドンの個人的な性格に由来するだろう。彼は禁欲的労働倫理を絵に描いたような人であり、つねに何かに駆られたように旺盛な執筆、造園、庭園探訪を続け、すべてを吸収し、記述しようとした。とはいえ同時に、そうした網羅的な折衷主義は、いうまでもなく時代の特徴でもある。

 様々な意味で、ラウドンは典型的十九世紀人であった。都市産業ブルジョワが文化の中心にせり出してきたのと対応し、彼は上流階級の独占物だった庭園文化を、万人に普及しようとした。旺盛な著述活動やGardener’s Magazineのような重要な造園雑誌の創刊は、その一方途に他ならない(なおこうした活動の背景には、二十四歳年下の妻、ジェーン・ラウドンの支えがあった。自らも造園家・著作家であった彼女の助けなしには、体に不自由のあったラウドンがこれらの活動を行うことは不可能だったろう)。ベンサムの友人で自由主義の信奉者だったラウドンは、公衆に開かれた庭園の建設を唱導し、ダービー森林公園のような名高い実践例も残す。この森林公園は公衆の教育という意図も持っていたが、これも民間の植物学ブームや健全な大衆娯楽の普及という、時代の様相をよく表すものである。同じくラウドンが寄与したコッテージの流行も、ブルジョワからの下層階級への働きかけという時代の動向を示すものだし、彼の名前に結び付けられることの多いヴィラも、産業革命によって深刻な問題が噴出していた都市をブルジョワが逃れ、郊外に移り住んだ結果大量に出現したのであった。さらに造園の上で彼は、ピクチャレスクに代え「ガーデネスク」(庭らしい庭)を提唱したが、これも植栽の美しさを強調するものであり、彼が庭園に土着の自然を離れた人工性を要求したことと同様(ここにはフランスの美術批評家カトルメール・ド・カンシーの影響も見られる)、イギリスの帝国主義的拡大による外来植物の大量の流入と密接に関係している。

 ただしラウドンは、急進的な社会改革者ではなく、むしろ階級の差別を容認した。そのことは彼の家屋のデザインにも明確に反映している。彼はピュージンのような純粋主義者ではなく、むしろ無差別にコピーすることを肯定し、デザインが商業的であることを隠そうとしなかった。そしてあらゆるものを貪欲に取り込み、伝達しようとしたのである。その結果、彼の活動は多岐に渡り、その著作は膨大となった(しかも往々にして細かい活字でびっしり書き込まれている)。それがラウドンの研究を阻害してきたことは指摘されてきたとおりである。とはいえ、彼の影響力の大きさは否定すべくもない。例えば重要なアメリカの造園家、ダウニングへの影響はよく知られている。その意味でも、このたび彼の主要著作が復刻されることは喜ばしい。