Athena Press

 

女優たちの自分語り

河内 恵子 慶應義塾大学教授

 19世紀後半のイギリスでもっとも人気のあった劇作家はオスカー・ワイルドである。そして、女優たちへの愛と信頼を、作家としての人生をとおしてもっとも率直に語ったのもワイルドである。

 「すべてのすぐれた演劇作品は詩人の夢と役者の経験知の融合です…台詞があなたの情熱によって新しい輝きを放ち、あなたの唇によって新しい調べを奏でる。そのようにして私の作品に生命がふたたび吹き込まれるのを見たいのです。」

 これは26歳のワイルドが女優メアリー・アンダーソンに語った言葉である。女優を芸術家として扱い、書く者と演じる者との結合がすぐれた作品を創り出すという信念を持ち続けたワイルドは、当然のことながら、作品を提供するという「与える側」だけに立っていたわけではない。女優たちから多くを「受ける側」にも立っていたのだ。メアリー・アンダーソンの他に、マリー・プレスコット、エレン・テリー、リリー・ラングトリー、サラ・ベルナールといった圧倒的な存在感を放つ女優たちから、台詞や所作に関するアイデアを得て、人物造形に役立てていた。オスカー・ワイルド以外にも多くの作家たちが、ワイルドほど意識的にではなくとも、女優たちとの「相互作用」という経験を創作に活かしている。

 『オックスフォード英語辞典』によるとイギリスにおいて“actress”(女優)という言葉が“a female player on the stage ”(舞台上の女の演技者)という意味ではじめて使われたのは1700年のことだが、実際にプロフェショナルの女優が舞台に登場したのは1661年だとされている。17世紀に登場した女優たちは多くの人びとの憧れの対象ではあったものの、他方では、娼婦と同等に扱われる場合もあった。18世紀には、キャサリン・クライヴ、エリザベス・グリフィス、イライザ・ヘイウッドなど、「演じること」から「書くこと」に転じる女優たちが複数出現した。舞台上で観たい作品を女優たち自身が創作したのだ。なかにはプロデュースを手がける者もいた。

 大英帝国として世界に君臨した19世紀には、国民のアイコンとして絶大なる人気を誇る女優が登場した。また、演劇の国際化が進み、イギリス国内だけで演じるのではなく、ヨーロッパやアメリカに巡業に出かける女優たちもいた。逆に、アメリカやヨーロッパからイギリスにやって来る女優たちも多かった。このように、時代とともに、女優の仕事のありかたはさまざまに変化したが、プロフェッショナルな立場だけではなく個人の立場にある時、女優たちは何をどう語っていたのだろう?

 作家が創作した役柄と舞台空間から離れた女優たちの言葉に私は深い興味を抱いている。公的空間と私的空間をきわめて鮮明なかたちで生き分ける、あるいは、それらの空間を敢えて区別せずに生きる、彼女たちの思いと語りは虚構と現実のあいだを彷徨する作家たちの姿に、これまでの文学研究が示すことがなかった新しい光を射すからだ。

 「彫刻家の夢は大理石のなかに冷たく静かに刻まれる。画家のヴィジョンはキャンバスの上に静止する」が、自分の演劇作品は女優の力と技と情熱によって生命力を与えられ、動くのだ、と信じたワイルドのナイーブな言葉に女優たちはどのように反応していたのだろうか? ワイルドに限らず、作家と作品と女優の関係を知ることは、作家と作品と私たち読者・観客の関係のありかたを考える機会となるだろう。

 Athena Library of Life Writingという大きな企画の最初に「女優たちの自分語り」が位置している。舞台を下りても(いや、下りているからこそ)饒舌な彼女たちの声を聞いてみよう。刺激的である。