アティナー・プレスの企画によるLife Writing シリーズ第5部、イギリス芸術家編その2として、次の3点4冊の初版復刻版が刊行される運びとなった。
1. Blanchard Jerrold, The Life of George Cruikshank in Two Epochs, 2 vols., 1882.
2. David Croal Thomson, Life and Labours of Hablôt Knight Browne: “Phiz”, 1884(250部限定出版).
3. Edgar Browne, Phiz and Dickens as They Appeared to Edgar Browne, 1913(著者サイン入り175部限定出版).
最初のブランチャード・ジェロルド(Blanchard Jerrold)は、劇作家・ジャーナリストとてディケンズと親交のあったダグラス・ジェロルド(Douglas Jerrold)の息子。フランス人画家ギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré)と組んで、London: A Pilgrimage(1872)を著し、そのテクストを執筆したことで知られる。
B・ジェロルドが本書The Life of George Cruikshank in Two Epochsをドレに献呈しているのは、そのような誼(よしみ)があったからだが、献呈の辞の中には、それとは別に注意すべき言説が含まれている。
ジョージ・クルックシャンク(George Cruikshank)のエッチングや版画を見るにつけて、ドレが描いたラブレーの作品のイラストレイションや、バルザックの『風流滑稽譚』の挿絵などとの「強烈な類似性」を感じずにはいられない、と彼は述べているのである。
この天才的風刺画家、挿絵画家の生涯の物語は、標題に見るように二つの時代(two epochs)に分かれる。すなわち1792年から1847年までと、1848年から1878年までの前後期の時代区分だ。
この区分は、ジョージ三世からリージェンシーを経て、ヴィクトリア朝にかけての激動の時代と重なり、歴史的・文化史的観点から非常に興味深い。その時代の流れの中で、クルックシャンクは、ジェイムズ・ギルレイ(James Gillray)やトマス・ローランドソン(Thomas Rowlandson)とは一味違った風刺画への道を切り開き、チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)の『オリヴァー・トゥイスト』の挿絵を通じて、「比類なきジョージ」と謳(うた)われるようになった。
そんな彼が前期人生の終わり頃からまるで人が変わったように絶対禁酒主義者(total abstainer)になり、『酒びん』(The Bottle, 1847)、『飲酒者の子どもたち』(The Drunkard’s Children, 1848)といった連作画を発表した。そして遂には『ジャックと豆の木』『シンデレラ』『長靴をはいた子猫』といった童話の世界までも、禁酒主義プロパガンダで塗り変えてしまうようになる。もちろんそのように偏った彼の後半生が幸せをもたらすことはなかった。
ある意味ではクルックシャンクとライヴァル関係にあったのが、ハブロ・ナイト・ブラウン(Hablot[hab-lo]Knight Browne)だ。ブラウンが「ボズ」(“Boz”)と語呂を合わせるために「フィズ」(“Phiz”)を名乗るようになったというのも因縁じみる。『ピクウィック・ペイパーズ』から『二都物語』に至るまで、ディケンズの主要作品13編のうち、10編の挿絵を、フィズが描いているのである。
そもそも作家と挿絵画家との間には、いろいろな秘話があって当然だが、なかでもディケンズとフィズとの間には知られざるドラマが多かった。
周知のようにディケンズの作品はほとんどの場合、原則32ページに挿絵2葉入りの分冊で月刊された。書くほうも大変だが、挿絵を描くほうの苦労は察して余りある。時間がさし迫ったときには、ディケンズはテクストを早口で読み聞かせるだけで挿絵を指示して、さっさと引き上げてしまうこともしばしばであった。しかも彼は挿絵に対して人一倍気むずかしい。フィズにとっては、まさに骨身を削るような重労働の連続であったに違いない。著者のデヴィッド・クロール・トムスン(David Croal Thomson)がその標題に特に“Labours”という語を取り入れた理由がよく伝わってくるのである。
伝記の著作において、書き手の偏見や依怙は禁物だ。トムスンはこの点に留意し、あくまでもフィズの作品群の「本質的な価値に則して」彼の挿絵画家としての仕事を評価するように努めた。
1862年10月6日付Pall Mall Gazette 所載の書評記事は本書のこのような特徴を高く評価しつつ、たとえ些細な問題点はあるにしても、「本書はbooks of the year の候補として、考慮すべき資格を十分に具えている」と結論づけている。
トムスンがこのフィズ評伝を物するときに、最も大きな恩恵を蒙ったのは、エドガー・ブラウン(Edgar Browne)であった。エドガー・ブラウンとはほかならぬハブロ・ナイト・ブラウンの長男で、本書Phiz and Dickens as They Appeared to Edgar Browneの著者でもある。
文字どおりユニークなこのフィズ伝は、まず“Hablot”(あるいは“Hablôt”)という名前の由来の解き明かしからはじまる。
そしてロバート・シーモア(Robert Seymour)の後を継いで、『ピクウィック・ペイパーズ』第4分冊(1836年7月)から挿絵を担当したフィズの長年にわたる活動の軌跡が展開される。
エドガーは父親の超人的な仕事ぶりを冷静着実にたどりつつ、彼の生い立ちから挿絵画家としての修業や交友関係、時代性、そしてユーモアと戯画的要素との綯(な)い交ぜの気質等々、父親ブラウンの“life”の側面をも色彩豊かに描き出しているのである。
そこにはまたチャールズ・リーヴァー(Charles Lever)や、ウィリアム・ハリスン・エインズワース(William Harrison Ainsworth)の挿絵画家として、フィズが特異な技能をふるっていることについても、相応のスペースをさいて考証されている。しかし、版画とデザインの量と質からみて、フィズはディケンズと結びついてこそ、真のフィズであった。
2011年11月に同じくアティーナ・プレスで復刻刊行されたウィリアム・パウェル・フリス(William Powell Frith)の『ジョン・リーチの生涯と作品』(John Leech: His Life and Work, 2 vols, 1891)を含めると、ディケンズをめぐる挿絵画家三巨頭の伝記がそろったことになる。これらの挿絵画家に関する研究は、単にディケンズ小説をより面白く鑑賞する道に通じるだけではない。ヴィクトリア朝小説のあり方の本質に迫ることにもなるのである。