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価値観の揺らぎを生きる:世紀転換期からモダニズム時代のイギリス舞台女優

河内 恵子 慶應義塾大学教授

 ヴィクトリア朝時代の英国の繁栄を支えたのは経済基盤を担っていた中産階級の人びとであり、彼らの価値観が当時の英国の所謂「常識」となっていた。簡潔に言えば、勤勉さと体裁を重んじる保守性を評価する姿勢が社会の軸となっていたのだ。きわめて強固だと思われたこの軸が揺れ出したのは、1890年代のことだった。  

 経済的自立と男性との平等の権利を求める「新しい女」の活動がますます活発になり、彼女たちの多くは婦人参政権運動へとそのエネルギーを傾けていった。これは、結婚して、夫の仕事を支え、家庭を平和に維持することこそが女性の生きる道だと標榜していた中産階級の女性観や結婚観への大きな挑戦だった。  

 大都会は豊かさと進歩の象徴であると同時に、貧困と犯罪の温床でもあり、世紀が終わりに近づくにつれて増加していた凶悪犯罪に、英国の繁栄と安全を無条件に信じていた中産階級の人びとはおののいていた。他国に先駆けて成功した産業革命は富める階級と貧しい階級の格差をそれまでのどの事象よりも明確にしたが、多発する犯罪は、その格差が絶対的なものではなく、誰でもが被害者に(そして、加害者に)なりうることを如実に示した。  

 この他にも伝統と常識と道徳を重んじる中産階級の人びとの心を苛む事象はあった。国民の結束力の中心であるヴィクトリア女王が高齢のため、その姿を英国民に見せる機会が減少していたし、アイルランド問題は政治的にも宗教的にも解決への道は困難な状況を呈していた。人びとは漠然とした不安感を抱き、社会の軸と信じてきた自らの人生哲学が揺さぶられていると感じていた。彼らのこうした焦燥感の一時的カタルシスとなったのがオスカー・ワイルドの投獄だった。英国の豊穣さを華麗に(少なくとも表面的には)体現していた大都会、ロンドンのウエストエンドには、当時の人気劇作家たちの作品を上演する劇場が集まっていたが、ここで同時期に二本の作品が上演されていたのが社交界のスターでもあったオスカー・ワイルドだった。際どい言動で中産階級の人びとが重要視する道徳観に挑んでいたワイルドが、同性愛の罪で投獄されたのだ。中産階級的価値観が自由奔放な芸術至上主義者を社会から葬り去ったのだ。1895年のこの事件を「芸術が道徳に裁かれた象徴的できごと」と捉えたり「ヴィクトリア朝時代の終焉を示す悲劇」と理解する向きもあるが、結局はこれ以降も中産階級の人びとの不安感は解消されなかったことやワイルド退場の直後も英国演劇はさまざまな魅力を発信続けたことを勘案すると、世紀転換期の演劇世界を「19世紀の終焉」と把握するよりも「20世紀への架け橋」として、すなわち、ふたつの時代の継続を明らかにする時空間と解して構わないだろう。  

 世紀末から1920年代という30年あまりの時間で、文学史の上でことさら力説されるのがモダニズム運動であるが、モダニズムを「表現のテクニックの斬新さ」という観点から考えると演劇ジャンルでモダニズムが到来するのは1950年代のことである。言い換えると、この時代で演劇ジャンルにおいて破格の影響力をもった事象はモダニズム運動ではなかったということだ。誤解を怖れずに言うならば、それは女性たちだった。広く、深く、生と表現の場をきりひらいていった女性たちこそが新しい演劇世界の創造に関わっていたからだ。  

 もちろん第一次世界大戦はあらゆる面で多大な影響力を残した。この巨大なエネルギーが創造した芸術的磁場を見つめることは20世紀を評しようとする者の避けられないテーマである。今回は世紀転換期から20世紀半ばまで演劇界で活躍した4人の女優のライフ・ライティングに密着して、1890年から1920年代までの芸術的磁場を捉えてみたい。  

 

 ウエストエンドで提供される作品の殆どがコメディ・オヴ・マナーズやウェル・メイド・プレイと称される商業演劇であったのに対して、周辺(フリンジ)や小劇場では「女性の権利」「失業問題」「刑法改正」「階級問題」等を描出する「プロブレム・プレイ」が上演されていた。前者を「マジョリティ・ドラマ」、後者を「マイノリティ・ドラマ」と区別する傾向もあるが、時代が進むにつれて「プロブレム・プレイ」がウエストエンドで上演され、人気を博する事態も出現した。伝統と保守的な価値観と戦う「新しい女」を創り続けたのがG. B. ショーであり、その「観念の演劇」に反対しエンターテーメントを求めている観客のために作家は書くべきだと主張したのがW. S. モームだった。彼のウェル・メイド・プレイはオスカー・ワイルドの世界を彷彿させる。このような演劇作品の連鎖や反復のなかで女性たちはどのように描かれていたのだろう?また、先に述べたように、世紀転換期から第一次世界大戦後の時代においてもっとも大きな変化を見せ、多大な影響力を発揮したのが女性たちだったとするならば、その原点とでもいうべき、自立と男性との平等の権利を求めた「新しい女」たちは劇作品のなかでどのように表現されてきたのだろう?また、女優たちは女優という職業的立場から「新しい女」のありかたをどのように考え、どのように演じてきたのだろう?  

 第一次世界大戦という巨大なエネルギーの渦のただ中にあっても女性たちの多くはこの戦争には「女性にとって新しい時代となりうる可能性」があることを信じていた。激しい時代を生きた女性たちの声を代弁する女優たちの声が今甦る。