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エッツェルの「発明」

鹿島 茂 明治大学教授

 制度やシステムの発明・発見に関する歴史、すなわち「ヒストリー・オブ・アイディアズ」というのは、私が強い関心を寄せるところですが、児童文学およびSF・アドヴェンチャーというサブカルもまた、意外なことに、発明・発見の歴史に属するのです。つまり、大昔から存在していたものでは決してなく、歴史のある時期に、ある人物によって発明された「制度」なのです。

 その人物とは、バルザックやユゴーの出版人にして奇才グランヴィルの天才を広く世に知らしめたピエール=ジュール・エッツェルです。もし、エッツェルが1864年に「教育娯楽雑誌」を創刊し、そこでジュール・ヴェルヌという新人を大抜擢しなかったら、果たして、今日、我々がイメージするような児童文学・サブカルが誕生したかどうかわかりません。

 もちろん、「教育娯楽雑誌」がこの手のジャンルの雑誌の嚆矢ではありません。18世紀の末から子どもを主な読者層とする雑誌や週刊新聞の類いはたくさん創刊されていました。しかし、それらはおしなべて、子どもを倫理をわきまえた大人にするための道徳教育を、物語や御伽噺の力を借りて行うという特徴を持っていました。しかし、目的が露骨だったため、敏感に道徳臭を察知する子どもはこの手の徳育雑誌を好むことはありませんでした。

 では、エッツェルは、徳育に代えて何を置いたのでしょうか?

 それは後にアメリカでディズニーが映像で展開することになる「空想と冒険」という「もう一つの世界」です。とりわけ、ジュール・ヴェルヌによってこの「もう一つの世界」を得たことにより、エッツェルの「教育娯楽雑誌」は、たんに児童文学という領域を超え、サブカルという大人も読むジャンルへと離陸したのです。

 とはいえ、「教育娯楽雑誌」は「徳育」を完全に放棄したわけではありませんでした。むしろ、「徳育」を新しいかたちの教育に変えようとつとめました。それは、共和国の市民として、新しい国家と社会を作っていく子供を育てることです。

 こちらの方面で活躍したのが、「家なき子」で知られるエクトール・マロです。

 エクトール・マロは、社会の底辺に忘れられた子供たちを取り上げ、彼らが周囲の貧困と悪徳にもかかわらず、創意工夫とたくましい生活の知恵でサバイバルし、ついには周囲の大人たちを説得して、社会改良に参加させるような物語を多く書きました。

 ひとことでいえば、エクトール・マロが「教育」を担当していたのに対し、ジュール・ヴェルヌは「娯楽」を引き受けていたといえなくもないのです。「教育」と「娯楽」が両輪として働いて初めて健全な共和国市民を育てることができるというのが、筋金入りの共和主義者エッツェルの信念だったようです。

 このたび「教育娯楽雑誌」が日本で復刻されると聞きました。これによって、児童文学とサブカルの元祖ピエール=ジュール・エッツェルの全貌があらわになることを切に期待しています。

 

 

 

 

 

「教育娯楽雑誌」復刻の快挙

柏木 隆雄 大手前大学副学長

 先に『パリの悪魔』二巻が復刻されて、19世紀後半の出版技術や当時の風俗、文学、芸術のありようを、つぶさに今日の読者に知らしめることになったが、とりわけこの本を企画、編集したピエール=ジュール・エッツエル、筆名、スタールの仕事の大きさを、その別冊解説の説くところとともに、精細な図版やエスプリの効いた記事で確かめた人も多かっただろう。復刻版が出てまもなく、昨年私市保彦先生が『名編集者エッツェルと巨匠たち フランス文学秘史』を著されて、エッツエルの仕事の全貌が、その時代背景やバルザック、ユゴーといった大物作家との交渉など、従来必ずしも十全にとらえられることの少なかった文学史的視野のもとに、日本の読書家に明らかにされるに至って、ますますエッツェルの存在を重からしめることになった。

 しかしその評伝の中でも特筆されているように、いわゆる『驚異の旅』シリーズで今も人気の高いジュール・ヴェルヌの発見、育成は、編集者エッツェルの眼識、知見の高さを示すものだが、彼の活躍する場としての「教育娯楽雑誌」の発案は、ヴェルヌの発見以上に彼の優れて深い洞察力と未来への高い志向からなるものだ。すなわち年少の読者に良質の読み物を提供し、訓育すると同時に将来の見識ある大人の読者層の獲得。折からの児童教育の普及を図ろうとする政府の姿勢とも相まって、エッツェルは義務教育の普及に尽力していた教師、そして同窓でもあったジャン・マセと出会うことにより、児童を読者層とする挿絵入りの雑誌を刊行する。そのタイトル、Magasin d’Éducation et de Récréation, Journal de toute la Familleは、付け得て妙、と言うべきで、「教育」éducationはともかく、「娯楽」としたrécréationは、学校の休憩時間のことをも言うから、教室でも休み時間にも繙く雑誌という意味にもなり、またré-création「再創造」とも取れて、新しい人格形成に役立つことをも示唆する。そして先駆的な児童雑誌の「子供の友」や「令嬢雑誌」といった特定の読者ではなく、Journal de toute la Famille「家族みんなの雑誌」としたところに、編者の基本的な姿勢と戦略が見える。

 今回優れた評伝を書かれた私市先生、長年児童文学を考究され、本雑誌の全巻の作者・挿絵画家索引なども作られた石澤小枝子先生の解説を付して復刻がなされるのは何という快挙だろう。読者はヴェルヌの『海底二万マイル』、『十五少年漂流記』など『驚異の旅』の多くのプレオリジナルを見ることが出来るほか、「学校のピエロ」等に見る当時の児童、小学校の有様を挿絵や説明で見て取って、今日における児童教育への示唆を得ることも可能である。そのふんだんな挿絵と明快な文章は、19世紀フランスの出版文化の一つの優れた模範例として、日常折に触れて頁を繰りたいものだ。

 

 

 

 

 

19世紀フランスでは子どもに何を読ませようとしたのか
―― 第一級史料の復刻刊行に寄せて ――

福井 憲彦 学習院大学学長

 フランスをはじめ19世紀のヨーロッパは、じつに多様な定期刊行物を生み出したことで知られている。学校教育の普及が図られたこともあり、字を読み書きできる人の数が増え、知識への欲望といったものも広く刺激されはじめた時代である。それに、活版印刷技術の機械化や紙の生産の工業化といった、技術上の一大変化が、本や雑誌、新聞など文字情報のあり方を大きく変化させた時代でもあった。そうした定期刊行物のうちには、三号雑誌ではないが泡のようにたちまち廃刊されてしまうものもあったけれども、しっかりした準備で開始され、粘り強く継続されたものもあった。今回、アティーナ・プレスの英断で、復刻刊行されることになったこのマガジンは、その後者に属するものであり、いろいろな観点から興味深い内容を提供してくれる。現在ではマイクロフィッシュやマイクロフィルムで取り寄せて利用するという手段もあるにはあるが、現物ないしその復刻版を直接利用できるに越したことはない。

 1864年に創刊されたこの雑誌は、そのタイトルから想像できるように、教育と楽しみとを併せもつことを売りにしている。創刊号巻頭の「わが読者たちへ」というマニフェストからは、刊行の意図が、楽しみながら勉強になる、児童や若者たちにそういう適切な読み物を提供する、というところにあったことが分かる。子どもたちが家でくつろいで面白がって読むうちに、学校での教育を補完する役割も果たせるだろう、と。18世紀に社会の上層部からはじまった子どもへの読書の勧め、いわゆる児童書の普及の動きは、19世紀にもなると大きく裾野を広げるようになった。この雑誌は、子どもの歴史や教育史という点できわめて重要な位置を占めるものである。

 創刊の編者としてジャン・マセとP.-J.スタールの名が挙がり、ピエール=ジュール・エッツェルが出版。エッツェルといえば、バルザックやユゴーなどの挿絵入りの小説を刊行ヒットさせたことで知られているが、ジュール・ヴェルヌを売り出したことでも有名である。じっさいヴェルヌはこの雑誌でも重要な寄稿者の一人であり、のちには編者としても加わっている。マセは、この雑誌刊行と並行してフランス教育連盟を組織して、教育を国民全員に普及させることに邁進した教育者であった。もう一人のスタールは、フランスで出されている人物事典よるとエッツェルのペンネームだそうである。この二人は、パリにあるコレージュ・スタニスラスという寄宿学校で学んだときからすでに知り合っており、書物の普及と民衆教育への情熱とを共有することで、この子どもと若者向けの雑誌を刊行する企てを実現したのであった。教育部門の内容をマセが担当し、娯楽的な読み物の部分をスタール、つまりエッツェルが担当した。庶民の興味をひきつけられるように挿絵が配され、庶民の手が届くように厚紙の装丁で価格を抑えたエッツェル社の書物や雑誌は、その独特の装丁や挿絵によって、現在ではパリの古本屋でたいへん高い値がつく人気である。この雑誌もまた随所に、ドレなどによる版画が挿入されていて、図像という点でも興味深い資料的価値をもつだろう。

 

 

 

 

 

 

近代の「子供の情景」が時系列で立ち現れる

宮下 志朗 放送大学教授

 19世紀の文学や思想を研究している人は羨ましいなと、ときどき思ったりする。新聞・雑誌というメディアが発展をとげて、そうした媒体に「記入」された、さまざまなエクリチュールを読んだり、あるいは挿絵を眺めたりしながら、その時代を追体験することができるのだから。わたしの専門の16世紀に関しては、残念ながら、そのような特権的な時間を生きることは不可能に近い。

 その19世紀後半から20世紀初めにかけての、「子供の情景」が時系列で立ち現れてくる媒体──それが《教育娯楽雑誌》にほかならない。そう、あの『海底二万里』や『二年間の休暇』が連載された雑誌である。ヴェルヌの多くの作品は、この雑誌媒体を経て、同名の叢書──赤いハードカバーは、愛書家にはおなじみだ──として発売されたのである。大編集者ピエール=ジュール・エッツェルと、子供の読書指導や図書館活動などに燃える教師のジャン・マセという、リセの同級生が創刊したこの雑誌は、そのタイトルが物語るごとく、「教育する」と同時に「楽しませる」という、理想を追求したものであった(月二回の発売で、価格はパリで0.50フラン)。創刊の辞でも、「まじめで、魅力的な教育」の重要性が強調されていて、将来を担う子供たちに、いわば健全な娯楽を提供したいのだという意図が表明されている。

 毎号の表紙を飾った図版を見てみよう。櫛比する本の前に座った小さな子供が、読書している。なにを読んでいるのだろうか? この子供、童顔のくせに、ずいぶんとませている。眼鏡をかけて、右手にはペーパーナイフまで持っているではないか。子供が、大人の予備軍として位置づけられてきたことが、フランスにおける子供文化や児童文学の遅れと結びつけて論じられることがあるけれど、そうした問題までも想起させずにはおかない挿絵といえるのかもしれない。この《教育娯楽雑誌》は、そうした「良い子」の誕生に、一役も二役も買ったのだろうか? いやいや、そうした予断にもとづいて、この雑誌を斜め読みするのはやめよう。むしろ、この際、たっぷりと時間をかけて、虚心坦懐に、ときに童心に帰りながら、紙面を追いかけていきたいものである。そうすれば、かならずや、新たな視座が、新たな発見が待ち受けているにちがいない。

 子供向けの本というのは、マンガでも雑誌でも、あるいは単行本でも、なかなか後世にまで残らない。たとえば、大正の終わりから昭和の初めにかけて出された、《世界童話大系》というシリーズがある(近代社刊)。『アラビアン・ナイト』は日夏耿之介訳でという、魅力たっぷりの人選で、ほかにも、米川正夫、青木正児、金田鬼一等、訳者は錚々たるメンバーだ。わたしは、この《世界童話大系》全23冊の揃いがないものかと、2年近く探したものの、結局見つけることができず、5冊ほどの欠本があるものを買い求めるしかなかった。この《教育娯楽雑誌》も、似たような事情かと思われる。Webcatで検索したところ、わが国の大学にはほとんど入っていないらしい。そうした意味でも、今回の復刻は快挙といえよう。この機会に、ぜひとも揃えることをお勧めしたい。そして、これをきっかけとして、ジュール・ヴェルヌだけではなく、エクートル・マロやエルクマン=シャトリアンといった、《教育娯楽雑誌》と縁の深い作家たちにも脚光が当たればいいのにと、願ってもいる。