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エドワード朝ロンドンの諸相を眺める楽しみ

川端 康雄 日本女子大学教授

 

 イギリスの20世紀初頭はどんな時代だったのだろう。1837年からつづいたヴィクトリア女王の長い治世が1901年1月22日の女王の死去によって幕を閉じる。女王の長男エドワード(七世)は王位継承時に59歳で、1910年5月に70歳で亡くなり、その息子のジョージ五世が王位を継ぐ。64年におよぶ長期のヴィクトリア女王時代と、第一次世界大戦(1914-18)および「ハイ・モダニズム」の時期をふくむ四半世紀のジョージ五世時代(1910-36)のあいだに挟まって、エドワード朝期は、10年足らずの短期ということもあり、いささか影が薄いという印象を一般に持たれているのではないだろうか。ヴィクトリア朝期が終わっても、20世紀初めは旧時代のモラル、趣味、感受性が根強く残っていて、全面的には新時代の幕開けとはいいがたい。コナン・ドイルはシャーロック・ホームズものを発表しつづけるし、アーツ・アンド・クラフツ展も3年おきに開催されている。ロンドンの街路には相変わらず馬車が走っていて、「バス」といえば(この時期に自動車が徐々に導入されるとはいえ)前世紀からひきつづき御者が運転する乗合馬車が第一義だった。たとえば1903年生まれのジョージ・オーウェルがそうだが、エドワード朝期に幼少期を送った人びとの多くにとっては、第一次世界大戦をへて大きく変容する以前の、比較的ゆったりとした時代として、ヴィクトリア朝期と地続きの時代として記憶されていたようである。むろん大戦後の大きな社会変化をもたらす文化的社会的発展のきざしがこの時代にあらわれていたことも確かではある。ヴィクトリアニズムから20世紀モダニズムへの継承と断絶という問題について(以前の研究動向の反動もあって、近年は継承の部分に強調点が置かれているが)考察をさらに深めていくには、エドワード朝期の文化と社会をじっくり吟味するのが肝要だ。

 アティーナ・プレスから刊行される「モダンロンドン」の続刊(第4~6部)の「世紀転換期からエドワード朝期のロンドン」はそのための資料として有用である。第4 部は20世紀の最初の数年のロンドンの標準的な風俗誌で、マクミラン社の「本通りと路地」叢書のロンドン版、またロンドンのナイトライフを特集した2冊をふくむ。第5部は作家や画家の目をとおしてエドワード朝中期のロンドンを描き出した書物群。そのうち『ロンドンの魂』(1905)は、近年新たに注目を集めている小説『パレーズ・エンド』(1924-28)の作者フォード・マドックス・フォード(旧名フェファー)の若かりし日のロンドン論であり、その一方、アーサー・シモンズの『ロンドン』(1909)は、『象徴主義の文学運動』の著者が1908年に精神疾患で事実上文人としてのキャリアを終える直前の白鳥の歌とも評せる美しい散文である(これはアメリカで刊行された本だが、印刷自体はウィリアム・モリスが使っていたロンドンのチジック・プレスで刷られ、ケルムスコット・プレスの影響が濃厚な本の造りになっている)。『ロンドンのボヘミア』(1907)は、後に『ツバメ号とアマゾン号』シリーズで児童文学作家として広く知られることになるアーサー・ランサムがジャーナリストとして活動し始めた二十歳代の著作である。第6部はエドワード朝後期の風俗を描く一連の書物からなる。そのなかの『バスの天辺からのロンドン』(1906)は、ダブルデッカーの二階席から撮影した写真を多数配してロンドン中心部の名所を紹介した一種のガイドブックであり、当時は多く刷られ消費された本だろうが、いまでは稀少価値が高い。

 最後の本がそうだが、写真および挿絵の図版が本文に劣らず資料的価値に富むことも指摘しておかねばならない。『帝国ロンドン』(1901)はハンスリップ・フレッチャーが60点のイラストを供給、『ロンドンの夜の面』(1902)は人気挿絵画家トム・ブラウンが作家ロバート・マクリーとともに夜のロンドンを取材しスケッチして一緒に本を造っている。ランサムの本はフレッド・テイラーが挿絵を手がけている。そしてイラストという点で特筆すべきは、第5部のW・J・ロフティ著『ロンドンの色彩』(1907)およびアルフレッド・H・ハイアット篇のアンソロジー『ロンドンの魅力』(1907; 1912 ed.)に附された牧野義雄の挿絵である。19世紀末から45年の長きにわたってロンドンに住みロンドンを描き続けた日本人画家(自身Yoshio Markinoと綴った)にとって『ロンドンの色彩』は彼の出世作となるものだった。不遇を託っていた牧野の画才と人物を認め、世に知らしめた貢献者が美術批評家M・H・スピールマンで、自ら牧野との出会いおよびその経歴を詳細に伝える序文を寄せている。最近イギリスで新たに評伝が出されて注目度が上がっている画家の貴重な仕事である。

 以上、復刻される書物群からいくつかつまんで紹介してみたが、エドワード朝期の首都ロンドンの諸相を描いたこれらの同時代文献は(少なくとも日本の大学図書館などでは)容易にアクセスできない資料であるだけに、復刻版によってまとまった形でこれらを手にとって見られるのはたいへんありがたい。