Athena Press

 

多様な書き手が活写する

第一次世界大戦勃発前後のロンドン

麻生えりか 青山学院大学教授

 

 数年前から開戦が予測されていた第二次世界大戦に対し、1914年の第一次世界大戦の勃発はイギリス国民にとって青天の霹靂だった。それこそが二つの世界大戦の決定的な違いだと言われることがある。20世紀初頭に世界一の繁栄を誇ったロンドンは1915年以降、繰り返しドイツ軍の飛行船と航空機の爆撃を受けた。第二次世界大戦と比べると規模も被害も小さかったとはいえ街のあちこちが破壊され、それまで想像もしていなかった空からの攻撃に市民は恐怖におののいた。戦後、かつての輝きを失ったロンドンはモダニズム文学にインスピレーションを与える。T. S. エリオットは機械文明(戦争はある意味でその最たるものである)によって荒廃した都市生活と人間の疎外を描いた現代詩『荒地』を1922年に発表する。ヴァージニア・ウルフの1925年出版の小説『ダロウェイ夫人』の主人公は1923年のロンドンの街なかに生と同居する死を見つめ、帰還兵の死に思いをはせる。どちらも戦争による破壊と喪失を経験したあとのロンドンなしでは生まれなかった作品である

 アティーナ・プレスのModern London, 1900-1940の本年度刊行分の第7部と第8部の資料では、職業や立場の多様な書き手たち作家、ジャーナリスト、犯罪学者、慈善家、詩人、経営者、フェミニズム運動家などが、繁栄の享受から愛国的な銃後の戦いへ、とひとくくりにされがちな1910年代における戦前・戦中の市民生活の変化の実態をつぶさに伝える。現在では入手困難なものを含むこれらの資料は、イギリスの歴史、社会、文学、文化の研究にとって貴重であるだけでなく、資料間のつながりから新たなテーマを探ることも可能な、絶妙なラインナップだ。

 7部は1910年のエドワード7世の死後から1914年の第一次世界大戦開戦までのロンドンのさまざまな階層の人々が織りなす表と裏の生活を活写した3冊から成り、膨張を続けるこの街の各地域の個性が愛憎込めて紹介される。1912年初版のLondon’s Underworldでは、1890年代に一世を風靡したシャーロック・ホームズものの中で社会の不気味なアウトサイダーとされた外国人、失業者、犯罪者、浮浪者、障がい者、難民たちの日常が描写される。ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』(1933)に先駆けて、慈善家や社会主義者の善意頼みになっている「興味深いと同時に非常に深刻な社会問題」をあぶりだす

 8部に収められた5冊の文献のおもなテーマは大戦勃発後に急変するロンドンと市民生活である。自称「おめでたい二流詩人」のトマス・バークが書いた2冊の筆致の落差は戦争の衝撃の大きさを物語る。第8部には女性の手になる資料が2冊あり、1冊はレストラン経営者の日記Untold Tales of War-Time London (1930)、もう1冊はイギリスの第一波フェミニズム運動を牽引したパンクハースト夫人の次女シルヴィアによる手記The Home Front (1932)である。出版はどちらも1930年代だが、それぞれの分野の第一線で活躍する女性の目線で、個人の生活から市民、帰還兵、難民の様子まで、戦時の幅広い日常をリアルタイムで記録した書として重要である。フェミニストや社会主義者たちに活動の場を提供したことでも有名なベジタリアン・レストラン(E. M. フォースターの小説『ハワーズ・エンド』(1910)に最先端の店として登場する)を元オリンピックのテニス選手の夫とともに経営する女性の日記は、市民の銃後の生活に食と健康という面からも光を当てる。

 大戦中、フェミニストたちは強硬派と穏健派の対立を一時的に解消して積極的に戦争協力を実践し、(皮肉なことに)その結果1918年に女性参政権を獲得した(男女平等の選挙権の獲得は1928年)という通説がいかに一面的なものであるかを、戦争協力を推進した強硬派の母や姉と袂を分かったシルヴィアの手記が教えてくれる。戦争反対論者の彼女が女性参政権獲得だけでなく戦時私生児のための施設運営や貧困女性の雇用創出、生活改善を目指して奔走した経緯、そして当事者である女性たちの厳しい状況が生々しく語られる。本当に戦うべき相手は誰か、国家とは何なのか、という本書の根底にある問いは、ウルフの反戦エッセイ『三ギニー』(1938)における主張とつながる。ウルフが思索の人だったのに対し、シルヴィアは徹底して行動の人だった。本書には他では見られない貴重な写真が数多く掲載されており、女性や子どもたちのまっすぐな視線、配給品に列をなす女性たちの背中が見る者を釘付けにする。

 「いまの自分たちが、以前と同じ世界に住む以前と同じ人間だとはどうしても信じられない」とは、前述の女性の1915年の日記の一節である。ロンドンの街も市民生活も、戦争によって大きく変わった。それをどう言葉にすべきなのか。どんな言葉にできるのか。市民がそれぞれに答えを模索する過程をたどるModern Londonは、一次資料を読むことの大切さと醍醐味を存分に味わわせてくれる。