1920〜1930年代のロンドンと言えば、スリムな身体に膝丈のスカートを身につけた断髪のモダンガールが、ジャズや映画等のアメリカ型大衆消費文化に彩られたライフスタイルを謳歌しつつ闊歩した街として知られる。同じ街をヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』(1925)のクラリッサ・ダロウェイもボンド街へと花を買いに歩き、他方、T. S. エリオットの『荒地』(1922)では、地下鉄の駅から吐き出された郊外居住の下層中流階級の群衆が、うつむき加減にシティ(金融街)の職場へと重い足を引きずって行った。この時代は、第一次世界大戦が終わってヨーロッパが荒地と化したとの意識が人々に共有され、イングランドの伝統や古い秩序が過去のものとなりつつある感覚が濃厚になる中、1926年にゼネストが行われ、1918年、1928年に段階的に女性参政権が認められるなど、下層中流階級、労働者階級、女性の存在感が新たなかたちで可視化された時代であった。
アティーナ・プレスの「モダンロンドン」の第9〜12部:1920〜1930年代の本年度刊行分が伝えるのは、そんなモダン都市の遊歩者が実際に数多く存在し、彼らがジャーナリスト、作家、あるいは活動家としてこの大都会を歩き、そうしたイギリス社会の変化を記述した刺激的な事実である。モダンガールの女性ジャーナリストを含むこれらの書き手は、労働者、年配の人々、子ども、女性、同性愛者、外国人等、イギリス社会の周縁に位置づけられる人々の生活を観察し、一般の中流階級のイギリス人からは見えにくい、階級的・ジェンダー的・性的他者の日々の営みと彼らの内面を記述した。書き手たちが示す、そうした人々の生活・文化・労働への関心は、第二次世界大戦後にイギリスがふつうの人々のための福祉国家として成立したことと地続きであることを実感させる興味深いものである。ここに書かれた挿話の一つ一つは、ヴァルター・ベンヤミンが論じる〈断片〉さながら、新しいイギリス社会の全体像を構成するものとなっている。
第9部が伝えるのは、戦争が終わり、夜間外出禁止令が解かれて復活したロンドンのナイトライフと、そこに見え隠れする社会の暗黒部分である。モズリーやフェルステッドの著作がナイトクラブの詐欺師やスリ等の犯罪者の法廷証言を取り上げて、中流階級の好奇心を満足させつつ警戒を呼びかける一方で、新聞記者として海外取材を行ったモダンガール的人物であるチェスタトン夫人は二冊の著作で社会福祉の必要性を説く。調査上の目的から、夫人はボロをまといほぼ無一文で路上生活を行い、最下層の女性が職や宿を見つけるのがいかに困難であるかを身を持って経験し、女性たちがホームレスや売春婦となることを余儀なくされる過程を明るみに出した。社会のセーフティネットの必要性を訴えるチェスタトン夫人は、後に女性のためのシェルターを設立したことでも有名だが、この二冊はそうした活動の第一歩である。
第10部で注目すべきはトマス・バークの二作。バークと言えば、短編小説集『ライムハウス夜景集』(1916)でイーストエンドのライムハウス地区の貧困層や中国人の人々をロマン化して描いて名声を得て、その一篇が名監督D・W・グリフィスの『散り行く花』(1919)で原作として取り上げられたことをはじめ、チャップリン他複数の映画人に影響を与えたことで知られる。そのバークがこの二冊のノンフィクションでは映画製作会社のスタジオやイーストエンドの案内人となり、20年代に見られた社会の変化について語る。クィアの人々が集まるストリートに関する記述もあり、クィア研究や黄禍論の研究に寄与する貴重な資料である。
第11部の書物には当時のロンドンのレストランや食料店に関する記述があり、メニューや価格を含めた具体的な情報が盛りだくさんで楽しい。20世紀前半の食をめぐる問題――保存食の開発、食料や食品のグローバル化、貧困層の食の問題――の存在を示唆するこれらの資料は、最近興隆している〈食と文学〉に関する研究の一層の深化に貢献するものと思われる。
第12部では、様々な職業に就く人々の労働やその現場、そして新しい時代を継承していく子どもたちの姿に焦点が当てられる。コックニー派の系譜に連なるW・リッジは、様々な職種の人々の勤務中の姿を、著名な写真家の写真やイラストレーターのスケッチを添えて生き生きと描き、女性参政権運動家E・シャープは託児所や学校での子どもたちの様子を描写する。ロンドンのドックで鉄製の塔を背景に海外製品の品質を検分する労働者の姿が象徴的にあらわすのは、産業社会の進歩や貿易のグローバル化のみならず、イギリス社会が様々な種類の労働に支えられつつ、多様な人々の包摂を目指す社会に一歩ずつ近づいているさまである。
E・M・フォースター、ウルフ、イーヴリン・ウォー、ジョージ・オーウェルらもまた、都市の遊歩者だった。彼らは時代の変化をどう捉え、どうあらわしていたのか――そんな想像をしながらテクストを分析し直す作業は、楽しく実りあるものになるはずである。