世の中には、出版当時には爆発的な人気を博し、ベストセラーになりながら、時代とともに忘れ去られる文学作品が少なくない。G.W.M.
レノルズ(1814-79)の『ロンドンの秘密』(1844-48、全4巻)もその類だといえるだろう。
『ロンドンの秘密』は、1844年10月から週刊分冊で刊行され始めてまもなく、毎週3万部ないし4万部の売行きを記録したといわれる。書物として刊行されてからも、その売行きは、10年間で100万部を越えるほどであった。当時としては、まさに驚異的な数字であるが、意外にもマイケル・サドラの『19世紀小説目録総覧』(1951)には、この往年の超ベストセラーが収録されていない。サドラは、いくつかの理由をあげて、レノルズの主要作品を対象からはずしたことを述べているが、それは20世紀半ば頃における一つの象徴的な例であったといえるのではないか。
G.W.M.
レノルズといえば、まず思い浮かぶのは、模倣、またはプレイジャリズムの作家兼ジャーナリスト。なかには彼がチャーティスト運動の指導者としての経歴をもつ人物だということを知っている人がいるかもしれない。好悪はともあれ、縦横無尽の文筆活動に加えて、ヨーロッパ諸国における革命のシンパとして政治活動にも精力的に参加した人物である。
彼はフランスの作家ウージェーヌ・シューに傾倒し、ヴィクトル・ユゴーや、同時代のイギリス作家ディケンズとも関係が深い。『ロンドンの秘密』は、シューの『パリの秘密』(Les
Mystères
de Paris,
1842-43)をまねて書いた長編だが、「近代のバビロン」(ロンドン)の謎と秘密を形象化するのに、ディケンズの初期の諸作品はもちろんのこと、ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ、1482年』(1831)にも多くを負うている。
20世紀後半における19世紀小説研究の流れの一つとして、「都市像」が注目されはじめた頃から、私はレノルズの『ロンドンの秘密』の再評価の必要性をひそかに思い描いていた。かつては巧妙な模作の名人としてとかく軽くあしらわれていたレノルズが、『ロンドンの秘密』をはじめ、『ロンドン宮廷の秘密』(Mysteries
of the Court of London, 1848-55)や『ホウガスの時代、または古のロンドンの秘密』(The
Days of Hogarth, or the Mysteries of Old London. Reynolds Miscellany,
May 29, 1847-April 29, 1848)といった「秘密」シリーズを通じて、都市表象のキーワーズをすでに創出していたように思えたのである。
時代の推移とともに、文学の価値観も小説についての目の着けどころも変わってきた。無名の作家や、水面下に沈没した作家を新たに掘り起こすことも必要であろう。ましてやレノルズのような奇抜な作家を、「アーバン・ミステリ小説」の開発者の一員として、今日に蘇らせるのも、大いに歓迎すべきことではないか。ほとんど絶望的に入手困難なMysteries
of Londonの復刻出版に快哉を叫びたいのである。