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The Mysteries of London(『ロンドンの秘密』)の復刻に寄せて
――G... レノルズの復権と都市の「秘密」小説の魅力――

田中 孝信 大阪市立大学教授

 いつの時代にもどの社会にも、「今」を解き明かそうとする精神がある。19世紀中期のイギリス社会も例外ではない。産業革命によって生じた近代都市を読み解こうと、都市の「秘密」を扱った幾つもの小説が書かれたのだ。そのなかの一つに、G... レノルズ(181479)の名を一挙に高からしめた彼の代表作『ロンドンの秘密』(184448、全4)がある。

 レノルズと言えば、ディケンズより多くの作品を書き、遥かに多く売れた当代随一の人気作家だったわけだが、その名にディケンズ研究家は、剽窃ものの『海外のピクウィック』(183738)や『ティモシー親方の書棚』(184142)を思い出し、にやりとするかもしれない。そして『ロンドンの秘密』もまた、背後にウージェーヌ・シューの『パリの秘密』(184243)やフランスの新聞小説の影響を見逃すわけにはいかない。

 しかしレノルズを単なる剽窃作家と思ってはいけない。急進主義的なジャーナリストでもあった彼は、1840年代というチャーティズム真っ盛りの時期にあって、自らの政治思想や体制批判を、『ロンドンの秘密』を通して、都市の読み書きのできる下層階級という新たな読者層に訴え、熱い共感を得た。

 もちろん小説は売れなければならない。『ロンドンの秘密』は、廉価な1ペニーの週刊分冊で刊行され、劇的な挿絵、上流階級の堕落した生活を覗き見、犯罪世界を暴露するストーリー展開、ゴシック小説風の道具立てといった煽情的な要素がふんだんに盛り込まれた。それに惹かれて、労働者階級だけではなく、公にはこの小説を軽蔑していた中産階級や上流階級も密かに買い求めた。人気のほどは、刊行当初の毎週の売上げが3万部から4万部を記録し、月刊分冊、さらには単行本にまでなり、10年間の間に何と100万部以上の売上げを誇ったことからも知れよう。続いて『ロンドン宮廷の秘密』(184855)が出るほどの、まさに驚異のベストセラーだった。

 これほどの人気を博しながらも長い間顧みられることのなかった『ロンドンの秘密』が、週刊分冊の形のままに、20世紀以降初めて、縮刷版ではなく完全な復刻版によって蘇ることになったのだ。さまざまな物語が絡み合うなか、私たちは、貧富のコントラストに社会問題を読み取り、そして、勧善懲悪の道徳物語の背後に潜み、それを色褪せさせるほどの放蕩と悪のとてつもない魅力に心奪われるであろう。

 このような混乱と複雑性。それこそは、ヴィクトリア朝のロンドンそのものではないだろうか。私たちはこの並外れた多様性とエネルギーに満ち溢れた小説を通して、1840年代という社会的・政治的に重大な転機にあったロンドンの息吹を満喫できる。「秘密」小説の系譜に連なるディケンズの『荒涼館』(185253)、さらには、摂政期のロンドン漫遊記、世紀末のイースト・エンド探訪記と読み比べてみれば、19世紀ロンドンのリアリスティックな全体像すら視野に入ってくる。学際的な観点からの「都市像」に注目が集まる昨今、本書は、ヴィクトリア朝英国の文学、歴史、文化の研究に携わる者には、垂涎の一書と言える。現在ではほとんど入手不可能な『ロンドンの秘密』の復刻に心躍る思いである。