Athena Press

 

監修の言葉

  玉井 暲 武庫川女子大学教授
  武田 美保子 京都女子大学教授

 イギリス小説史のうえで、世紀末の1880年代から1920年代にかけて、「<新しい女>小説(New Woman Fiction)」と呼ばれる小説が大流行した。この派の小説に登場する女主人公たちは、もしヴィクトリア朝における伝統的な女性像の典型が「家庭の天使」だと措定するならば、そうした女性の「旧い」型を超越し、その束縛を否定し、その枠を解体して、女性としての「新しい」あり方を求めてより自由に生きる姿を鮮やかに表現していた。この<新しい女>は、当時は、「当世風の娘」「放縦な女」「野生の女」「解放された女」「余った女」「輝かしいオールド・ミス」、「金切り声をあげる女たち」「翔んでる女」などと、さまざまな名前で呼ばれたが、今日の時点から振り返ってみると、そこには、反発、揶揄、からかいのみならず、羨望、共感、賛美をも含む複雑な心的反応が、この小説を受容する読者層に、男性・女性を問わず見られたことがわかる。世紀末に新たに登場した<新しい女>は、こうして、捉えがたいアイデンティティをもつタイプの人物、ある種の不可解さや神秘性を秘めた女性として、特にセクシュアリティやジェンダーという関心から見ると、きわめて興味深い登場人物となって今日の文学研究の場に浮上してくるのである。  

 この<新しい女>は、主に女性作家が精力的に描き出したと考えられがちであるが、実は男性作家も数多くこのタイプの女性の創造に関わっていたという事実も閑却できない。オリーヴ・シュライナー、セアラ・グランド、ジョージ・エジャートン、モナ・ケアドらの女性作家と並んで、グラント・アレン(『やってのけた女』)、トマス・ハーディ(『テス』、『ジュード』)、ジョージ・ギッシング(『余計者の女たち』)らの男性作家も、<新しい女>に固執したのであった。「<新しい女>小説」が孕んでいる大きな問題性を示唆する文学的現象であろう。

 「<新しい女>小説」の興隆は、また、イギリス世紀末において新しく現れた文化現象や社会運動と無関係ではない。人間社会における女性のあり方を新しく問い直すことを求める姿勢は、性の意識、結婚、家族関係から、高等教育の機会均等、職業の自由、雇用の拡大、服装の開放性、避妊・性病といった問題にいたるまで、従来の伝統的な考え方にラディカルな変革を迫る動きとなって表面化してきた。この新しい女性運動と「<新しい女>小説」との連動性は重要な視角である。「<新しい女>小説」が、近年、文化史・社会史研究の面からも注目されている理由がここにある。

 「<新しい女>小説」は、ヴィクトリア朝小説とモダニズム小説の谷間に隠れて、本格的な研究はいまだ未開拓の部分を多量に残している。何よりも、この研究を推進するためには不可欠となる「<新しい女>小説」の基本的な小説テクストの原書が、今日でも入手困難の状況が続いている。このリプリント・コレクションは、こうした出版界の現状に鑑み、イギリス世紀末の「<新しい女>小説」の代表的作品を精選して復刻したものである。

 パートIでは、「<新しい女>小説」の代表的女性小説家Olive Schreiner The Story of an African Farm: A Novel (1883) をはじめ、彼女の他の2作、From Man to Man; or, Perhaps Only (1926), Undine (1928)と、Sarah Grand, The Heavenly Twins (1893), George Egerton, Keynotes (1893); Discords (1894)を含めて、計6作を復刻した。パートIIには、Grant Allen, The Woman Who Did (1895)をはじめ、Mona Caird, The Daughters of Danaus (1894), Ella Hepworth Dixon, The Story of a Modern Woman (1894), Ménie Muriel Dowie, Gallia (1895), Mary Cholmondeley, Red Pottage (1899)からなる、計5作が含まれている。

 この度のリプリント・コレクション “New Woman Fiction: Gender Representation at the Fin-de-Siècle” 全8巻の刊行を契機にして、「<新しい女>小説」を幅広い文化的視野に立って多方面から検証する斬新な研究が開かれてくることを期待したい。