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C. S. ピール夫人著作集の刊行によせて

菅 靖子 津田塾大学准教授

 ヴィクトリア朝前半に活躍した「カリスマ主婦」的存在のビートン夫人(1836–1865)は有名であるが、ちょうど彼女の後に登場し、ヴィクトリア朝末期から両大戦間期までカバーして多岐にわたる家政関連の本を多数執筆したもうひとりの女性、C. S. ピール夫人(コンスタンス・ドロシー・ピール、1868–1934)の活躍ぶりについてはまだあまり知られていない。

 ジャーナリストであり文筆家であったピール夫人は、室内装飾、女主人の役割、家計の管理といった「家づくり」についての多角的な指南書を数多く社会に送り出しただけではなく、イギリスにおけるそうした営みを通史的に眺める社会史的なテキストをも手がけている点で、ビートン夫人よりも射程が広いといえるだろう。戦時中に大ヒットしたレシピ集、The Eat-Less-Meat Book: War Ration Housekeeping (1917)や、使用人の扱い方や「おもてなし」の方法といった家庭の切り盛りに特化したThe Art of Modern Housekeeping (1935)といった従来の「カリスマ主婦」的な執筆路線に加えて、全階級の生活模様、ミシンと既製服、日曜日の過ごし方から交通手段の発展や技術革新、さらには労働党の動きまで盛り込んだA Hundred Wonderful Years: Social and Domestic Life of a Century, 1820–1920 (1926)や戦時中の暮らしぶりを綴ったHow We Lived Then, 1914-1918 (1929)のような歴史書をまとめるなど、さまざまな興味深い読み物を提供している。

 ピール夫人の自伝、Life’s Enchanted Cup: An Autobiography, 1872–1933 (1933)からも明らかなように、じっさい彼女自身の人生が、そのまま豊かな社会史であった。彼女は軍人の娘として質素な暮らしのなかで育ったが、幼少時病弱であったために裕福な親戚に預けられ、当時の上流階級の華やかな暮らしぶりにも触れた。同時代のふたつの階級の生活差を身をもって体験したことが、その後の執筆活動に影響している。

 当時よくあるように家庭で教育を受けただけであったが、ジャーナリストとしてのキャリアは、『ウーマン』誌にファッション関連の記事を書くところからはじまった。1903年から06年まではビートン社の取締役も務め、1918年にはノースクリフ卿から、『デイリー・メール』紙の女性向けページの編集を任せられるまでになっている。ピール夫人は、電気技師と結婚後に「家づくり」を体験したことから、とりわけ使用人に去られて全てを自分で切り盛りしなければならなくなったために、限りある労力をどこに費やせばよいのかという普遍的な問題に関する執筆に取り組んだ。家事の「省力化(labour-saving)」こそ、ピール夫人の著作を貫くキーワードである。

 戦時中は厚生省や食糧省、ガーデンシティの各種委員会で活躍する一方で、ピール夫人は、家でできる仕事を中心にし、子供たちが幼い頃にはいったんジャーナリストをやめ、再び仕事に戻るなど、子育てと仕事という現代の女性の悩みに通じる問題も抱えながら働いていた。こうした家の内と外の経験は全て執筆活動に生かされている。

 第一次大戦中や戦後のイギリスにおける食文化やファッション、結婚、家庭生活を生き生きと物語る体系的な資料はほかに類がない。一人の女性の手によって書かれた著作をテーマ別に集めた本シリーズは、女性史はもちろん、文化史、社会史研究に格好の一次資料であり、家政学研究にも大いに貢献するであろう。