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戦争の記憶を創る――第二次世界大戦における視覚資料の役割

高田 馨里 大妻女子大学准教授

 

 第二次世界大戦の主要参戦国のなかで、唯一本土が戦場にならなかったアメリカ合衆国の人々にとって、戦争は、全米各地の軍事基地や、遠い海の向こうの戦線に送られた家族を案じる戦争でもあった。その関心にこたえるべくアメリカの新聞雑誌メディアは、世界各地の戦線の様子や兵士たちを撮影した写真を読者に届けた。それらは多くの場合、軍や政府機関の検閲を受けるか、もしくは新聞雑誌が独自に設定した自主検閲によって選ばれた写真だった。アメリカ合衆国で人々に共有が促された戦争の「公的記憶」は、注意深く選ばれた写真、すなわち「記録」によって創られたといっても差し支えないだろう。しかし、そのあまりにも膨大な写真や映像のなかには、検閲を免れた、もしくは当時の検閲においては問題にならなかったであろう「真実の戦争」の姿がしばしば現れることもある…。

 今回出版されるPictorial history of the Second World Warは、全10巻2部構成からなる大著である。前半5巻は、大戦勃発から戦争終結までを大戦を時系列に「記録」したもの、後半6巻以降は、海軍、陸軍航空軍、海兵隊、地上部隊、支援部隊を個別に扱った軍隊史である。写真は、アメリカ合衆国、イギリス、ロシアなどの連合国政府機関がリリースしたものや通信社が配信したものである。ここではおもに前半のシリーズを紹介したい。

 第1巻から3巻は、1944年に編まれた。第1巻は、大戦勃発からヨーロッパ戦線の拡大と新たな戦争手段である空爆被害の写真や航空写真を多く掲載している。第2巻で描かれるのは日米開戦による戦争の世界化である。時系列での「記録」ゆえに、ページをめくるごとに世界各地に拡散する戦場イメージ―ハワイの真珠湾攻撃に次いで掲載される雪に覆われたソ連戦線の膨大な「死」-に当惑を覚えるが、これこそが第二次世界大戦だったのだ。第3巻は、世界規模の破壊と殺戮を「記録」する一方で連合国の進軍を描く。そこでは戦争に貢献する女性兵士、黒人兵士、植民地の兵士たちも登場する。

 1946年に編まれた第4巻は、連合国による反攻と勝利を描きながら同時に、処刑される枢軸国側の人々、ナチ協力者など、勝利の背後で行使された暴力を取り上げる。さらに検閲から逸脱した兵士や民間人、子供の「死」が並ぶ。それに対応するかのように死を悼む人々、生き残った女性や子供たちのイメージが取り上げられている。第5巻は激化する対日戦争から終戦後の世界を膨大な写真によって「記録」する。とりわけ印象的だった写真は、沖縄戦終結後に行われたとみられる米軍の追悼集会である。粗末な木の十字架を前に何百人もの兵士が首を垂れて祈りをささげている。死を悼む写真のなかでもとりわけ印象に残ったのがこの写真だ。さらに、広島に原爆を投下した3人の爆撃機搭乗員たちの顔写真も掲載しているが、その表情は何を暗示するものだろうか。

 本書は、膨大な写真によるアメリカ人にとっての第二次世界大戦の「記録」であるといえるが、一方で、ヨーロッパ史、アジア史、日本史の研究者にとっても検討すべき資料を提示するものである。時系列で整理された戦争の展開は、我々に改めて世界戦争の在り方を問いかけるものといえるだろう。また、本書の編集部が記しているように、きわめて重要な局面であっても、写真の不存在もしくは非公開によって掲載できないことがあることも、我々は見落としてはならないだろう。

 本書は、第二次世界大戦期に大量に撮影された写真のなかから、政府によって、通信社によって、さらには出版社によって選ばれた写真による「記録」が、「公的記憶」を創り出すメカニズムについて検討すべき題材を与えてくれるものともいえる。アティーナ・プレスによる、貴重な資料であるといえる本書の復刻を心より歓迎したい。